内統領 特別インタビュー 新型コロナウイルスの大節に思うこと

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内統領 特別インタビュー 新型コロナウイルスの大節に思うこと

05月31日号

優しい心を養い、勇み心を育もう
内統領 宮森与一郎

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、国内外のようぼく・信者がおぢばや教会へ足を運ぶことのできない状況が続いている。3月の本部月次祭は、つとめ人衆と代表の者のみで勤められ、親里での各種行事も相次いで中止を余儀なくされている。この特別インタビューでは、宮森与一郎内統領に、新型コロナウイルスの大節に思うことについて伺った。
(詳細は『みちのとも』立教183年6月号掲載)

――今回の大節に対して、教会本部として講じられた対応などについてお聞かせください。

まずは、新型コロナウイルスの感染拡大によって出直された世界中の方々に哀悼の意を表すとともに、罹患されて今も苦しんでおられる方々の一日も早いご回復を、この道の信仰者として、親神様・教祖に、皆様と共に願わせていただきたいと思います。

この問題では、本教としてもさまざまな対応を取ってきました。まず、3月3日に本部神殿でお願いづとめを勤めさせていただきました。これは拍子木と数取りで勤めましたが、全国の教会や布教所、教友の家庭でも同じように祈念できるモデルになればとの思いがありました。

その後、感染が拡大し、4月には「緊急事態宣言」が全国へ拡大され、都道府県をまたいでの移動を控えるようにと要請されましたので、月次祭はつとめ人衆のみで祭典を執り行うことにし、教友の方々には、それぞれの土地所において遥拝していただくことにいたしました。

また、修養科や各講習会の開催を見合わせて、夏の「こどもおぢばがえり」も残念ながら中止の決定をいたしました。これらも、日本全国から人々が集まることに対して、行政からの指導や各方面の方々の意見を受けての教会本部としての判断です。

これだけ感染が広がってくると、人々の受けとめ方は二極化してきたように思います。

たとえば、マスクを着けるという行為。自分が感染するのが怖いから着けるのか、人に感染させたくないから着けるのか、同じ行為でも、大きく意味が分かれるのではないでしょうか。感染させたくないというのは、言い換えれば人を慮る、いたわる気持ちの表れで、その気持ちが深まれば、人をたすけたいという心につながっていくと思います。逆に、感染するのが怖い、自分を守りたいとなると、人の行動が気になります。あの人があんなことをしているというような指摘や批判につながると思うのです。

いまは、おぢばに帰って神殿で参拝していただけない状況があります。けれども、神殿へ行けないという考えにとらわれず、むしろ、それぞれの土地所からお願いする気持ちになるということを大切にしていただきたいと思うのです。ですから、この新型コロナウイルスの大節における一番のキーワードは“優しさ”だと思います。人に対する優しさや思いやり、そういう心を深めていくことが、いま最も大切だと考えています。

おつとめに“優しさ”を込める

――ところで、今回のような感染症の流行について、教理的にどのような思案をされていますか。

「おふでさき」の中に、世界的に流行した感染症がいくつか示されており、その中には、まず「ほふそ」(疱瘡)があります。

第七号では、

このつとめどふゆう事にをもうかなをびやほふそのたすけ一ぢよふ

このたすけいかなる事とをもうかなほふそせんよのつとめをしへる

このみちをはやくをしへるこのつとめ せかい一れつ心すまする

このはなしどふゆう事にきいているせかいたすけるもよふばかりを

(七号97~100)

と、おつとめによって疱瘡に罹らないように守ってやろうと仰せられるとともに、おつとめによって「心すまする」と示されています。私は、これらのお歌から、おつとめの根底にある親神様の“優しさ”を感じるのです。

おぢばでは、かんろだいづとめが勤められます。それぞれ教会や布教所、家庭でも、同じ気持ちでおつとめをすることが許されています。このおつとめに、精いっぱいの優しさを込める。それが、世のたすかりを願うことになる。私はこれが、いま強調すべき大切なことだと思うのです。

次に、第十二号のお歌に焦点を当ててみますと、

このたすけどふゆう事にをもうかなほふそせんよにたしかうけやう(十二号95)

とのお歌の前に、

これからハ月日たのみや一れつわ 心しいかりいれかゑてくれ(十二号91)

このさきハせかいぢううハ一れつに よろづたがいにたすけするなら(十二号93)

月日にもその心をばうけとりて どんなたすけもするとをもゑよ(十二号94)

と記されています。

これまでの、神様を頼っておつとめをすれば守ってやろうというところから、皆が心をそろえて互いにたすけ合う心、思いやる心、ひと言でいえば、優しい心に入れ替えることを促されているように思うのです。

心を変えようとする努力を

――私たち信仰者が心がけるべきことは、どんなことでしょう。

「おさしづ」には、「優しい」という語がよく出てきます。

「人の心養うように、優しいなあと言うは世界の台」(明治33年5月16日)

これは「優しいなあと思ってもらうことが世界を救う台になる」ということを教えられていると思います。また、教祖のひながたを拝すると、おぢばを訪れた人に「よう帰ってきたなあ」「ご苦労さんやったなあ」と、まず優しい言葉をおかけくださっています。そこで、人は「ああ、教祖こそ真実の親や」と感じる。最初から難しい教理を説かれたり、何か指導をされたりするのではなく、優しい言葉をかけて手を握り、体を撫でておられる。この優しさが「世界の台」、世界を救う元だと思うのです。

「人を救けるには誠の心。一つの言葉優しいというは、誠の心である」(おさしづ明治21年)とも教えられます。

誠の心とは、優しい言葉一つで表せると思うのです。常に優しい言葉を使う。逆に言うと、優しい言葉を使っているうちに優しい心に変わっていくかもしれない。ですから、意識して優しい言葉を使うことで、神様に受け取っていただける誠の心が養われると思うのです。

いまは人と会うことができない状況です。でも、電話やインターネット、ソーシャルメディアのSNSなどを活用して、優しい言葉を伝えることはできます。こうした丹念な心配りが大切だと思います。

また、「心一つというは優しい心もあれば、恐ろしい心もある」(おさしづ明治25年1月13日)とお教えくださいます。

同じことを見ても、同じ経験をしても、優しい心になれるのか、そうでない心を使うのか。これは、それぞれ人間の自由です。

そう考えると、いま見せられている事態とは、どちらの方向へ努力していくのかを思案する機会とも受け取れるでしょう。また大きな節とは、何かが変わる、何かを変えるときでもあります。自分の心を変えようとする努力は、必ずや神様にお受け取りいただけると思います。

つらい思いの人を受けとめて

――いま世界中の人々が直面している困難を、どのように捉えたらよいでしょうか。

いま世界中の人々が、新型コロナウイルスに感染するか、しないかという同じ土俵に立っています。誰が感染するのか、立場も何も一切関係ないという状況で、いわば世界一れつは皆、兄弟姉妹であり、身上は等しく親神様からのかりものであるということに、世界中の人々が目を向けるようになる、そのチャンスを下さっているともいえるのではないでしょうか。

人は何かが起こると、誰かのせいにしたり、責任を追及したりという考え方に陥りがちです。お道の信仰者は、すべては親神様のお導きなんだという思いを持って、今つらい思いをしている人を受けとめてあげるような、大きな心にならせていただきたいと思います。それが、この大節を治めていただくご守護の種になるのではないかと思います。

――最後に、あらためて教内の方々へのメッセージをお願いします。

ここまで、優しさということとともに、変わるということの大切さについてお話ししてきました。けれども今の状況では、物理的な変化は難しい。だから、変えられるのは内面です。内面を変えるにはやはり、おつとめを勤めることです。家庭に神実様を祀っていなくても、おぢばに向かって家族で勤めればいいのです。にをいがけにも出られないし、皆で集まってのひのきしんもできないのだから仕方ないし、それでいいと思う。そんな中でも、何かをさせてもらいたいのなら、原典の解説書や教理書を読んでみてはいかがでしょう。新たな気づきが見つかり、勇み心につながるかもしれません。勇み心は神様の思召にかなう心ですから、その積み重ねが成人につながるはずです。

どんなことでもいいですから、自分にできることで優しい心を養い、勇み心を育んで、神様にしっかりとすがりついていけば、この大節にあっても、何も心配いらないと思います。

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