座右のおふでさき ーコロナ禍の混乱の中も人だすけの思案と実動へー

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座右のおふでさき ーコロナ禍の混乱の中も人だすけの思案と実動へー

11月22日号

とのよふな事をするのも月日にわ

たすけたいとの一ちよはかりで(十二号78)

いま世界は、コロナ禍によって大変な状況に置かれている。これからの季節、国内での感染の再拡大が懸念される。

この混乱の中にあっても人をたすける努力を怠らないことが、私たちお道の者にとって親神様・教祖に一番お喜びいただける道であると思う。

先般、私どもの教会役員が身上を患った。彼の奥さんから連絡を受けて向かうと、当人は腹部の強烈な痛みに苦悶の表情を浮かべていた。

おさづけを取り次ぐと、痛みが少し和らいだようだった。かかりつけの病院で診てもらうと「尿路結石の疑い」とのこと。日を改めて専門の病院を受診すると、やはり結石で、医師は「腎臓がかなり腫れている」と告げた。

その日の教会夕づとめ後、身上平癒のお願いづとめを勤めた。当の本人はもちろん、信者の皆さん方にも集まってもらい、マスク着用、ソーシャルディスタンスを保ちながら、座りづとめと十二下りてをどりを全員で勤めた。それから、おさづけを取り次ぐと、彼は「痛みが下のほうへ移動しているような気がする」と言った。

翌日、再び受診すると、医師は不思議そうに「腎臓の腫れも、結石も無くなっている」と。本人もまた、どのタイミングで石が体外へ出たのか分からず、医師に言われて痛みがないことに気づいたという。あまりに鮮やかなご守護に、信者の皆さん方もわが事のように喜んでくださった。

コロナ禍の暮らしでは、喜び勇めない日も多々ある。しかし、ただ待っていても何も変わらない。どんな難儀な中も、自分にできる人だすけをそれぞれ思案し、実動に移していかねばならない。親神様・教祖にお喜びいただくご恩報じの道に向かって、一日生涯を胸に精いっぱいつとめきることが、いまの私たちにできる親孝行ではないだろうか。

 

 

 

河野真一 西野海分教会前会長

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