明治7年のひながたを思う

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明治7年のひながたを思う

02月23日号

明治7年、教祖は77歳になられる。

『稿本天理教教祖伝』によると、この年の「おふでさき」には「急ぎに急がれる親神の思召の程を誌され、重大な時旬の迫っている事を告げて、強く人々の心の成人を促された」とあるように、いくつかの特筆すべき出来事が記されている。

おそれながら項目のみを追うと、陰暦5月には、依頼していたかぐら面が出来たので、教祖直々に前川家へ迎えに行かれ、お面をつけての本勤めがつとめられるようになる。また、陰暦10月には大和神社のふし、陰暦11月には山村御殿のふしと、いずれも積極的に高山布教をおなしくださる出来事が続く。さらに、同じく陰暦11月には、教祖が初めて赤衣を召され、そのお召し下ろしを証拠守りとして広くお渡しくだされるようになる。親神様の御教えを表へ表へとお出しくだされているように見受けられる。かんろだいのぢば定めという重大事が翌年に迫っていたのである。

その明治7年の筆とされる「おふでさき」第四号に、気にかかるお歌がある。

「いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ」(四号18)

「うしのさきみち」。昔、大和地方で急性の牛の疫病が流行して、瞬く間に多くの牛が倒れ、その翌年になって人間の疫病が激しく流行したということである。「うし」とは、その牛疫の意であって、「さきみち」は、その後に起きることの先ぶれ(前ぶれ)の意とされる。そういうことを見て「上たるところ」、すなわち政府の役人、警察などの人々は、皆よく気をつけてもらいたい、というお歌である。

「上たるところ」に対しては、このお歌の数首前から、「にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら」(四号15)と、上に立つ者に、たすけを急き込む親神の思いを早く見せたい、という思召の流れがあり、積極的な高山布教を感じずにはいられない。

顧みれば、近年、世界のあちこちで、牛や鳥や豚などの家畜が疫病によって大量に廃棄処分されたのは記憶に新しい。昨年、アフリカ豚コレラの影響により、中国の豚の殺処分は1億頭を超えたとの報告もある。その後に、今度は新型のヒトの疫病が拡散しつつあり、感染の広がる国や地域の役人は、さまざまなかたちで責任を問われる。なんとなく明治7年の旬を連想するのである。身の周りにお見せくださる親神様の前ぶれには敏感でありたい。

ちなみに、先述のおふでさき四号15から18の間には、「上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい」(四号16)「にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり」(四号17)という二首があり、18の後には、「これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる」(四号19)とある。

おおよその意味は、「上に立つ者は何も知らないで、親神様の思召をわきまえない者たち(とふぢん)に従っているのが不憫である。日々、神が急き込んでいるのは、教えを知らない者たちが、ころっと心を入れ替えることである」ということになる。「ころり」はコレラのごとき疫病とも解せるが、いずれにせよ、「おふでさき」では、このような疫病の話題に入る前に、「だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける」(四号14)と、おつとめによって珍しいたすけを現して神の話が真実であることを「上たるところ」にも知らしたいというご神意が前提となっている。そして、四号19の不思議なたすけが見えてきたならば、皆が勇み、神の心も勇むのである、へと続く。

連想の域を出るものではないが、一つの視点として、明治7年のひながたの中に、混迷の世の行く手を思案させていただくうえで、親心のこもる何らかのヒントをお与えいただいているように思えてならない。

ともかく、一日も早い感染の終息を祈るばかりである。(人)

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