立教183年秋季大祭 立教の元一日の思い受け継ぎ

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立教183年秋季大祭 立教の元一日の思い受け継ぎ

11月01日号

困難な中も心を合わせ

立教の元一日に由来する立教183年秋季大祭は10月26日、中山大亮様祭主のもと、本部神殿で執り行われた。天保9(1838)年、親神様がこの世の表にお現れになり、教祖が月日のやしろにお定まりになったこの日。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、本部神殿にはつとめ人衆をはじめ、直属教会長ら代表者が昇殿した。参拝者は、立教の元一日の親の思いを受け継ぐ自覚を高め、一層の成人を期して、日々に道を求め、困難の中も心を合わせて、ようぼくのつとめを果たすことを誓った。

教会本部では、新型コロナウイルスの感染拡大を防止する対策として、本部月次祭におけるようぼく・信者による参拝を控えるよう促すとともに、各地の教会長が年内に一度ずつ、本部月次祭に昇殿して参拝できるようにしている。

また、社会生活が徐々に平常化していることを受けて、天理教ホームページの「信仰している方へ」のお知らせに「本部大祭および月次祭参拝時の留意事項」を掲示し、感染防止対策の徹底を図った。

 この日の親里には、澄んだ秋空が広がった。

教祖が「月日のやしろ」とお定まりになった「朝五ツ刻」にちなみ、大亮様は午前8時前に本部詰所をご進発。つとめ人衆と共に、教祖殿、祖霊殿で参拝された後、神殿上段へ参進。このとき、真柱様も南礼拝場の結界内で、一同と共に参拝された。

大亮様は祭文の中で、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろにこの世の表にお現れになり、よろづいさいの元を明かし、長の年月、変わらぬ親心でお連れ通りくださる親神様のご慈愛に御礼申し上げられた。

そして「私どもは、存命でお働きくださる教祖のお導きを頂いて、真実の道を通らせていただく喜びを胸に、至らぬながらも御用のうえに励ませていただいておりますが、その中にも今日の吉き日は、立教の元一日の日柄でございますので、ただいまから、つとめ人衆一同、かぐら・てをどりを勤めて、秋の大祭を執り行わせていただきます」と奏上。さらに「御前にはつとめ人衆と代表の者が登殿させていただき、日ごろ賜る厚き御恵みに御礼申し上げ、ご恩報じを誓い、つとめに勇む状をご覧くださいまして、親神様にもお勇みくださいますようお願い申し上げます。私ども一同は、秋の大祭を迎え、立教の元一日の親の思いを受け継ぐようぼくの自覚を高め、一層の成人を期して、日々に道を求め、困難の中も心を合わせて各々のつとめを果たしていく決心でございます」と誓われた。

続いて、かぐら・てをどりが、常と変わらず陽気に勤められた。

「いま何ができるのか」ひながた手本に考える

おつとめの後、宮森与一郎・内統領が神殿講話に立った。

宮森内統領は冒頭、新型コロナウイルスの感染拡大によって教内の行事のほとんどを中止せざるを得なくなった、今年10月までの教内の歩みを振り返りながら話を進めた。

その中で、先人たちによって積み重ねられてきた行事を例年通り行えることの大切さをあらためて感じる一方で、行事を例年通り行うことだけでつとめを果たしていると錯覚し、事足りたと勘違いしていたのではないかと指摘。「こどもおぢばがえり」「全教一斉ひのきしんデー」「全教一斉にをいがけデー」などの恒例行事は、「やりたい」「私たちにできることを」という願い出によって始まり、先人・先輩たちのやむにやまれぬ気持ちから、どうすればいいかと思案を重ねて作りだしたものであると語った。

そのうえで、「コロナ禍は『やらねばならない』『かくあらなければならない』から抜け出して、一人ひとりが自分で『いまの私に何ができるのか』を考えるようにと示唆しているような気がする」として、「私にはこれができる」というものを、教祖のひながたを手本に、自ら考えることが大切であると述べた。

自分の心配事を忘れて 優しい心でおたすけへ

続いて、コロナ禍の影響で、ゴールデンウイークの期間には朝夕のおつとめの時間以外、すべての礼拝場を閉鎖する事態にまで至ったことに言及した。

その中で、中山眞之亮・初代真柱様の手記を引き、明治15年から17年ごろにかけて、官憲の厳しい取り締まりにより、当時のお屋敷で「参拝お断り」の張り紙をされる中でも、人々の信仰はいよいよあつく、おたすけに邁進していったとして、「この姿こそが私たちの先人・先輩の信仰である」と強調した。

さらに、29年の内務省訓令により、厳しい弾圧を受けた時期にも、多くの教会や出張所、布教所が設立されたことにふれたうえで、先人たちも、いまの私たちと同様に「この先どうなるんだろう」と思っただろうが、先人たちが思った「どうなるんだろう」は、「おさづけを取り次げば、どんな珍しいたすけがあるんだろう」「どんな不思議が現れるんだろう」というものだったはずと指摘。「私たちの先人は皆、事情や身上に苦しむ中にあっても、我が身我が家の心配は横へ置いておいて、おたすけに励んでいった」として、自分の心配事を少し忘れて、おたすけに掛かることを促した。

この後、おたすけに掛かる際の心構えについて、「我が身我が家の事柄に心を奪われないこと」「いろいろな事柄が起こってくる中にあっても、おたすけは諦めないこと」「おたすけには苦労すること」の三つを忘れぬように努めたいと話した。

また、あるべき姿や理想を説くのではなく、悩み苦しむ人に共感し、共に悩み苦労しつつ、教祖の教えられた生き方を実行するための心の使い方を伝えていくことが、私たちのおたすけであると述べた。

さらに、「うれしいときも、つらく悲しいときでも、たんのうの心を治める姿が『ようきづくめ』の姿である」「優しい心こそ『ようきづくめ』につながり、陽気ぐらしを築く土台である」として、人を思いやる心が人をたすける心につながると語った。

願い出たときの心を 次代へと引き継いで

続いて「この道は、別席を運ぶのも、おさづけの理を戴くのも、名称の理を引き継ぎ教会長となるのも、すべては自分が願い出て許していただくものである」として、「そのときの心を忘れず、次代へと引き継いでいきたい」と話した。

最後に宮森内統領は、秋季大祭は、立教の元一日に教祖のお口を通しての親神様の最初の啓示を実現するための、私たちの心定めを確認する日であると強調。

「何よ楽しみ無しに、何働けようか。働く者あるか。皆楽しみやなあという処から集まって、一時にどうしょうこうしょう出けんなれど、精神湧いて来る」「万事楽しまして、これ何よ治まる。(中略)中に楽しみ/\から働く。働くから成り立つ。皆義理や役で働けば、皆、後の理が無い」(明治33年10月21日)との「おさしづ」を引いたうえで、「初めから思うようにいかないかもしれないが、楽しみから勇み心が湧いてくる」「皆を楽しませていく中に治まっていく元がある」として、「いまコロナで苦しいとき、困難なときである。こんなに苦しい時だからこそ、私達は智恵を出し合って、苦心を重ねて、先人たちに負けないように先を楽しみながら、おたすけに邁進していこう」と呼びかけ、講話を締めくくった。

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