“一より始める”好機として

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“一より始める”好機として

05月10日号

新型コロナウイルスの感染拡大による自粛生活が続くなか、「全教一斉ひのきしんデー」が行われた。移動や密集を避けるため、支部単位で会場に集まっての実施はなく、それぞれが教会や自宅周辺でひのきしんの汗を流した。

筆者も家族で草引きと落ち葉掃きをした。例年と違うやり方をして感じたのは、その気になれば、ひのきしんはいつでもどこでもできるということ、実はそれが大事であるということだ。夫婦・親子が共に汗を流すことで、信仰的なひと時を充実して過ごせることに、あらためて気づかされた。忙しさにまぎれて、意外と家族そろってのひのきしんをしていないことに思いが至り、これからもそんな機会をつくっていきたいと考える貴重な時間となった。

コロナ禍によって世界中のイベントが中止され、教内でもさまざまな影響が現れている。とはいえ、この状況下だからこそ見えてくるものもあり、ようぼくとして何ができるのか、何をすべきかと自問している人は少なくないだろう。

まず、教内の者は誰もが一刻も早い事態の収まりと、病む人や苦しむ人のたすかりを親神様に願っているだろう。

一方、おぢばや教会への参拝を自粛せざるを得ないことに、寂しさや戸惑いを感じている人もいるだろう。しかしこれも、慕い寄ろうとする者の足を止めてまでも親神様がお知らせくださる重大事が、その背景にあるのだと考えればどうだろうか。

中山善衞・三代真柱様が、真柱として最後の神殿講話を務められた際に、次のような意味のお言葉を述べられた。

明治15年、二段まで出来ていたかんろだいが取り払われて没収された後、教祖が、おつとめの地歌を『いちれつすます』から『いちれつすまして』へと、さらに『あしきはらひ』を『あしきをはらうて』へと改められたことを台に、人々が自らの胸を掃除し、心を澄ましていく一方で、かんろだいを建てて、たすけを願い出れば、心通りの守護をすると約束してくださったものが、明治15年に没収されてのちは、まず人々の心を澄ますことに急いで掛かられ、その進み方次第に、かんろだいを建てるということに模様替えをなされた。さらに前者は、親の立場から子供を仕込み、子供がたすかるよう育ててやろうとの親心であるのに対し、後者は、子供が自ら進んで教祖に教えていただいたことを身に付け、自分で成人への努力をして、をやの心を世界へ伝えていくようにとの、子供の自主性をお促しになったことと悟らせていただく――と。

今回の節に際しても、このときと同様に、ただすがっておつとめをするに留まらず、自ら求めて心を澄ますことに、人にも陽気ぐらしの教えを伝え、一れつの心を澄ますことに、より一層努めるようにと成人を促されているのでは、と悟ることができる。

また、今年は「立教183年こどもおぢばがえり」「婦人会創立110周年記念第102回総会」などの行事も軒並み中止となった。これも大変残念なことだが、それに代わるような十分なことはできなくても、できることから着実に実行へ移していくような根気が必要だろう。これらの行事や活動は畢竟、陽気ぐらしを目指し、人をたすける生き方をするための手段で、時機に応じて模様替えをすべきときもあるはずだ。親神様の思召を探り、後回しになっていた取り組みを見直して、節から芽を吹く機会にしたいものである。

さらに、この節は、親神様が子供をたすけたいという深い親心から世界にお見せくだされているのだから、必ず乗り越えることができる。私たちは先に導かれた者として、世界は一つの家族という思い、いわば「ワンワールド、ワンファミリー」の心で、苦しみ惑う世の一人ひとりの心に寄り添い、励ましの言葉をかけさせていただこう。いまは陽気ぐらしの世界への歩みを進めるために、“白紙に戻り一より始める”大きなチャンスを頂いているとも思う。(村)

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