どのよふな事がありてもしんちつの
心したいにこわい事なし(十四号49)
4カ月ほど前、ある高齢の信者さんの娘から数年ぶりに電話があった。「母があまり動けなくなり、『会長さんにおさづけを取り次いでもらいたい』と頻繁に言っているので、近くに来ることがあれば、お願いします」とのことだった。
急がないとは言われたものの容体が心配になり、翌日、おたすけに伺う旨、電話をかけた。すると「今朝、母が全く動けなくなったので、救急車で病院へ連れていってもらいました。新型コロナウイルスの感染予防のために、面会できないそうです」と伝えられた。
居ても立ってもいられず、親神様・教祖に無事をお願いしたうえで、市内の別の信者さん方のおたすけに回った。しかし、病院や介護施設では感染防止のため面会を断られ、おさづけを取り次がせてもらえなかった。
さらには、近しい教友の出直しが続いた。このような時勢のために、どこも家族葬でつとめられた。身上や事情に苦しむ方が身近にいるにもかかわらず、直接会えない状況に、不安が募るばかりだった。
そんななか脳裏に浮かんだのが、以前、祖父である4代会長から不安や心配事があるたびに聞かされていた掲出のお歌だった。
親神様は、どのようなことが起こっても、真実の心さえあれば決して怖いことはないと仰せられる。また、続くお歌では、心さえすっきり澄んでいれば、どのようなことでも楽しみと受け取ることができるのだと。
現在、各地で人々が寄り集うことが困難になり、おぢばでの恒例行事も中止や延期となっている。しかし、親神様は、決して人間を苦しめようというのではなく、どうでも一人残らずたすけ上げたいとの仰せである。
このことを信じ、親神様にもたれて皆で励まし合い、近い将来、「このときを協力して乗り越えたからこそ今がある」と思えるようにつとめたい。
長畠賢治 若松分教会長