文芸連載小説
外国から帰ってきて、カンが少しずつ言葉を喋りはじめたころから、あの子は普通の青年に戻っていった気がする。もちろん喜ばしいことである。同時に、ちょっと寂しくもあった。わたしたちの関係は変わらなかったが、まったく同じというわけではなかった。
一つだった世界が、二つに分かれてしまった気がした。黄緑色の世界が、黄色と緑に分かれるように。自分の役目が終わりつつあるのを感じた。きっと潮時だったのだろう。ハハが言うには、人は肉体において死に、魂において生まれるらしい。肉体は魂を運んでいる乗り物だ。肉体を失ったわたしは、トトのサーフボードに乗ってカンを見守っている。
カンに備わっていた特別な力も、いつの間にか消えていくようだった。おかげで現在と未来が同時に見えるといった人騒がせなことは起こらなくなった。いまのあの子には、もっと別のものが見えているのかもしれない。
〈写真を撮っていて気づくことがあります。道端や野原に生えている草も、カメラを近づけてフレームを覗くと、どれもじつに美しく、可憐で、精妙にできているんですね。虫だってそうです。近くから目を凝らして見ていると、どうしてこんなことを思いついたんだろうと驚くことがたくさんあります。みんな生きるための、そして子孫を残すための生命の知恵なのでしょう。小学校の先生が「雑草という草はない」と言っていたのを思い出します。ぼくたちが丁寧に見ないから、「雑草」や「害虫」なんて失礼な言い方をしてしまうのかもしれません。人間も生命ですから、小さな草や虫と同じように生命の知恵をもっています。自然からたくさんの愛情を注がれて生きています。〉
のぶ代さんはカンの写真と文章のファンで、毎日ブログの更新を楽しみにしている。そしてカンが農場にやって来ると、機会を見つけて持論を熱く語るのだった。
「細切れの時間じゃだめ。とくに子どものころは、連続して流れているまとまった時間が必要なの。ところが学校には時間割というものがあって、せっかく興味をもってやりはじめたことを中断されてしまう。家ではゲームやテレビが待ち受けていて、子どもたちはなかなか心の奥まで入っていくような体験を得られない。だからここに来てもらいたいの。拘束されない時間のなかで、キラキラしたものと出会ってほしい」
自然と絵本が、その入口というわけだ。どうやら彼女はカンを「えほんの郷」の計画に引き入れるつもりらしい。