文芸連載小説

作/片山恭一  画/リン

第12話
命を輝かせて

2022年05月11日号

春になって暗い土のなかから出てきたばかりのモグラのように、新太は生きる喜びを全身にみなぎらせている。一時もじっとしていられないのだ。カンを家来のように引き連れて、農場のあちらこちらを歩きまわる。

どうして小鳥はあんなふうにさえずるのか、なぜ花は白やピンクに咲くのか、木は緑の葉をいっぱいに茂らせるのか。新太の毎日は発見に満ちている。おかげで彼は省吾さんのところの豚のようにすくすく育っている。

前にもお話ししたように、省吾さんの豚の飼い方はいろいろな点で変わっている。新しく買い入れた子豚を、省吾さんは小屋のなかで三日ほど絶食させる。それから土の上に放してやると、腹を空かせた豚は食べ物を探しまわる。地面に生えている草も食べるし、土を掘り返して木の根っこみたいなものも食べる。こんなものも食べられる、あんなものも食べられると、いろんなものを食べているうちに、土のなかにいる小さな生き物などが腸のなかに取り込まれて、子豚はどんどん健康になっていく。

新太もまた絶食明けの子豚のように食べ物を探しまわる。彼の心はいつも新しい食べ物を求めている。たくさんの動物や植物が、発見されるのを待っている。見つけるたびに、その生き物が備えている性質や不思議さが彼を喜ばせる。そうしてどんどん健康になっていく。

誰もが新太のような子ども時代を送ることができれば、どんなにいいだろう。身近に見ているカンは、そんなことを考える。みんな命を輝かせて生きていけたらいいのにと。

省吾さんによると、畜舎などで飼われる豚は、身動きもできないほど狭いところで暮らしている。下はコンクリートで固められているので、土の上を歩いたこともないし、草など食べたこともない。そうして育てられた豚は、ストレスのために大人になるころには肉が不味くなる。だから大人になる前に肉にしてしまう。ひどい話だ。

あの子は、父親の暴力が原因で言葉が出なくなった少年のことを考えている。暴力を振るう父親も、振るわれる母親も、毎日それを見ている子どもも、狭いスペースで育てられる動物みたいなものだ。せめて子どもだけでも、別の環境で生活させることはできないだろうか。

でも、それは難しいことだ。一時的にはなんとかなっても、長くはつづけられない。わたしはカンに、そういう厄介ごとにかかわってほしくない。あの子自身が、あれでなかなか大変な人生を送っているのだから。

第2部相関図