文芸連載小説
〈どんなゲームにもルールがあります。ルールを知らないと、そのゲームで遊ぶことはできません。チェスや将棋で、でたらめに駒を動かしたって、面白くありませんよね。サッカーのルールがわからなくて、飛んできたボールを手で持って走りだしたら、ゲームから外れているとみなされてしまいます。ゲームのルールを学ぶところが学校です。その多くは、社会というゲームに参加するために必要なものです。でも、なかにはルールを学ぶのが苦手な子がいます。ぼくもそんな子どもの一人でした。〉
ツツたち一家が街を去ったあとも、フウちゃんとサユリさんは毎年夏になるとホテルの仕事でやって来て、ひと月ほど滞在した。中学生になったツツは、いろんな事情で東京に残った。やがてホテルは閉館し、フウちゃんとサユリさんの仕事もなくなった。ハハは、ときどき電話でサユリさんと話をしていたが、それもしだいに間遠になっていくようだった。
ツツの高校進学を機に、一家はアメリカへ移住することになった。ロサンゼルスはフウちゃんとサユリさんが知り合った街だ。友だちもいるし仕事もある。彼らがアメリカで暮らすことにした、いちばんの理由はツツのことだった。中学生になってから、彼女は学校がすっかり嫌いになってしまった。中学校は小学校よりもずっと居心地が悪かった。自分がのけ者にされているのを感じた。肌の色や髪の毛の様子が違うことに加えて、英語が誰より上手に喋れることも、友だちが彼女を避ける理由の一つらしかった。
そのうちにツツは、まったく学校へ行かなくなった。かわりに自宅で通信教育というのを受けた。もう日本の学校はこりごりだ。中学を卒業したあとはアメリカの高校で学ぶ。彼女の決意は固かった。一人ででも留学するつもりだった。娘がその気なら、と両親はアメリカへの移住をきめた。
〈とくに算数という、数を使ったゲームが全然理解できませんでした。友だちはすぐに数を使いこなせるようになりましたが、ぼくはいくら考えても、なぜ17+8=25なのかわかりませんでした。みんながやっているゲームに参加できないので、授業を抜け出して校庭の隅に隠れたりしていました。そして自分も参加できるゲームはないだろうか、と考えたものでした。勉強をしなかったわけでも、怠けていたわけでもありません。自分ではかなりがんばっていたつもりでした。でもわからないものは、やっぱりわかりません。そのころ、ぼくと同じように授業を抜け出してくる女の子がいました。外国での暮らしが長かった彼女は、日本語という言葉のゲームが苦手だったようです。ツツという名前の女の子のことを、いまでもときどき思い出します。〉