文芸連載小説
午後の遅い時間になっても、太陽はまだ空の上のほうにあった。二人は浜辺に腰を下ろして、輝きを増しつつある海を見ている。
「大学の図書館で借りた本に、こんなことが書いてあった」。ツツが遠い口ぶりで言った。「地球上で発見されている植物の90%以上は、地中の菌類がつくりあげる巨大なネットワークによってつながっている。この共生関係は、四億年前に陸上生物が出現したときからつづいているって」
カンは海に目をやったまま聞いている。
「巨大なジャイアントセコイアから可憐な高山植物まで、多種多様な植物が小さな菌類の活動によってつながっているの」。彼女は植物の根の話をつづけた。
「菌類の根はとても細いので、普通の植物の根が入っていけない土壌の隙間にも潜り込むことができる。地中に棲む心強い相棒のおかげで、植物たちが活用できる土壌は大幅に広がる。そこで植物たちは、菌類の根を通して地球の裏側でおなかを空かせている仲間に養分を送ったりしているらしいの。凍てついた北の大地や、乾燥した砂漠や、標高の高い山の上で頑張っている仲間にも、カリウムやリンや炭素や窒素を届けている」
近くに若い男女がいた。カラフルなビーチ・パラソルの下にビニールシートを敷き、並んで横たわっている。若いカップルを、ツツはしばらくまぶしそうに見ていた。
「地中で小さな菌類たちがやっているようなことをやりたいと思った。世界中の人たちを結びつける仕事。奪い合ったり、憎み合ったりするかわりに、お互いに助け合う仕組みをつくる仕事。でも理想と現実は、やっぱり違うんだな。会社が必要としているのは面倒くさい雑務をやってくれる人間だった。領収書を整理したり契約書をつくったり……これだって地中で菌類がやっていることと変わらないのかもしれないけど」
彼女は小さくため息をついた。
「入社して一カ月くらいで夢はしぼんでしまった。遊園地とかで売っている綿菓子みたいに。ふわふわ膨らんでいた夢が、誰かに力まかせに握りしめられて、ちっぽけな現実になってしまった」
水平線の向こうから、真っ白い雲が湧き上がっていた。いまは夏がつづいているように見えるけれど、ある朝、光の感じが変わる。するともう、秋がやって来ている。
「きみは昔のままだね」。ふと隣に坐っているカンを見て言った。「何も言わないけど、いつもわたしを見ていてくれる。きみに会うと自分が戻ってくる気がする」
ツツは言葉をおいて海の彼方へまなざしを細めた。
「何もかも変わっていくのに、カンだけは変わらない。またTシャツを交換したくなっちゃった」