立教185年(2022年)4月13日号掲載分
たむろする若者に声をかけ
補導委託を始めて三十年余り。これまでの活動を通じて、私のほうが、少年たちからさまざまなことを教わったと感じる。
その一つが、声をかける大切さだ。
少年たちは、教会を最初に訪れたとき、なんとも言えない寂しそうな表情をしている。
これまで預かった少年の半数以上が、片親か、両親がいない家庭で育ってきた。家族から見放され、大人への信用をなくし、〝心の居場所〟を持てない子供たち。補導委託を始めて間もないころは、彼らのために何ができるだろうかと思い悩み、眠れぬ日々を過ごした。
そうしたなかで、とにかく声をかけ続けることを心がけた。
「おはよう!」「体の調子はどうだ?」
「料理が美味しいだろう!」「今日一日、楽しかったか?」
すると、日が経つにつれ、少年たちは笑顔を見せるようになった。
声をかけ続けることは、地道で根気がいる。大人に対して良い印象を持っていない彼らに、「私は味方だ」ということを示し、心を開かせるには、とにかく声をかけ続けるしか手はなかった。
補導委託を始めて十年が経ったころ、少年たちに声をかける大切さに気づいた私は、あることを実践するようになった。
それは、コンビニでたむろしている若者たちに声をかけることだ。
毎日、教会の朝づとめを終えた後、片道四キロの道を歩いて上級教会へ日参している。
その道中に、コンビニが三店舗ある。早朝のコンビニでは、夜通し遊び続けていたと見える若者たちが群がっていることが少なくない。
「おはよう!」
私が声をかけると、「おじさん誰?」と戸惑ったような顔をする若者がほとんどだ。それでも「趣味は何?」「家族は何人?」などと、こちらが質問を投げかけると、だんだんと会話してくれるようになる。
コンビニに群がるような少年たちは、非行に走る前の状態にあるといっても過言ではない。
「お腹は空いていないか? よかったら、うちに来るか?」
こう声をかけ、教会にやって来る〝コンビニ少年〟も少なくない。皆、妻の「久子さん」の手料理を食べ、久しぶりに味わう〝家庭の味〟に大満足し、いろいろな話をして帰っていく。
「ちゃんと家に帰って、学校へ行くんだぞ」
若者たちが、私の言葉をどれほど聞いているか分からない。それでも、こうした声かけを、自分ができるおたすけの一つとして現在も続けている。
(大畑道雄 本導分教会長)