ハートフルエピソードまんまる なんばなつこ

天理時報で新しく始まった4コマ漫画は、実話を元にしています。ここでは、そのオリジナルストーリーをお届けします。

立教185年(2022年)10月12日号掲載分

喜びの種をまきながら子育てを

思春期は、大人と子供の中間という難しい時期です。それまでよりも一歩下がって子供を見なければいけないと思いますが、それでも注意して子供同士の交流を見ながら、親と子の言葉のやりとりを一層大切にすべき時期だと思います。

私が子育てをしていた時に、子供が「お母さん、あのね、○○君がね……」と話し掛けてくると、どうしても目先の用事が気になってしまって、「分かった分かった、後でね」とあしらってしまうことがよくありました。ある時、子供から、「お母さんは、話を聞いてくれない。目を見てくれない」と言われ、とても反省しました。ですから、忙しい時でも、「今はお話し中だからごめんね。後でしっかり聞くからね」と、必ず子供と目を合わせて会話をすることが大切だと思います。子供は毎日の何げない会話からでも親に対してサインを送っていると思うので、それを見逃さないようにしなければと思います。

子供の友達に対しては、わが子と同じように接するように心掛けてきました。友達が家に遊びに来たら必ず玄関であいさつをするように、また、靴を脱いだらちゃんとそろえるように、やかましく教えました。そして、教会へ来ているのだから、まず神様に参拝してから家に入ることもいつも言いました。何回言ってもなかなかできない友達もいましたが、回数を重ねるごとに、きちんとできるようになりました。このように、子供の友達にも伝えるべきことはしっかりと伝えることが大切ではないかと思います。

私には3男1女の4人の子供がいます。もうみな成人していますが、子供たちは小学校、中学校時代の友達と今だに付き合いがあります。みんな私のことを当時のまま「おばちゃん」と呼んでくれて親しくしてくれています。私は2年前に大病を患ったのですが、その時も子供の友達が、「おばちゃん、どう?」と教会に来てくれたりしました。子供の友達とのつながりが今でも続いているのはありがたいと思います。それも、その子たちと小さい頃から、忌憚なくお付き合いをしてきたからではないでしょうか。

私には孫がいますが、孫の友達のお母さんが3人目の子供を妊娠していて、体が大変だというので、嫁がおさづけを取り次ぎに行かせてもらったり、嫁が行けないときは私が行かせてもらったりしています。みんなで教祖の教えてくださった温かい心で喜んでいただくことをさせてもらったら、みんながたすかっていくということを、いろいろな生活環境で暮らしている子への関わりの中で身をもって伝えていきたいものです。孫の友達の中には虐待を受けている子もいます。家族で共有しながら、何とか力にならせてもらいたいと思っています。

初代真柱様は、「人の子も我子もおなしこゝろもておふしたてゝよ このみちの人」という歌をお詠みくださっています。子供の友達に対しても、自分の子供と同じような心を持って接することが大切だと思うのです。

現代はインターネットやスマホがあるので、親は思春期の子供にどんな友達がいるのかが分かりづらい状況だと思います。親としては「良い友達とお付き合いしているのかな」と思っていても、実は見えていないところで、思いもよらない友達付き合いをしていることもあるかもしれません。

ですが、おさしづに、

「小人十五才までは親の事情。よう聞き分け」
(明治3年1月6日)

とお示しいただきます。15歳までは親が今まで積んできたいろいろないんねんを子供に見せていただくわけですので、思春期の子供にお見せいただく事柄は、親の成人のために親神様が与えてくださっていると思います。社会がさまざまに移り変わって、子供を取り巻く環境が時代とともに様変わりしても、その真理が変わることはありません。

長男が、いろいろな事情から不登校だったことがあります。私たち夫婦は心が苦しくて、ある教会長さんに相談に行かせてもらいました。するとその教会長さんは、「君たちは今、着るもの・食べるもの・住むところの苦労はしていないだろう。では何の苦労をするんだ。今、子供のことで節を見せていただいているのは、教祖のひながたをちゃんと通れるようにとの親心からなんだよ。君たちを立派なようぼくにしてやろうと、教祖が導いてくださっているんだから、今の姿を喜ぶんだよ」とお話しくださいました。その言葉を聞いたときに、私は「本当にそうだなあ」と思いました。

またある教友は、「『人たすけたらわがみたすかる」と教えていただくけれど、今のあなたを見ていたら、『助けてください』ばかりを言っている。一歩進んで人を助けることさせてもらったらどう?」と言ってくれました。これも、「本当にそうだ」と思いました。

そこで夫婦で相談して、毎日にをいがけに行くようになりました。毎日にをいがけに歩くと、節には親神様、教祖の親心が本当に込められているんだなとしみじみと感じることができました。

次男も、とてもやんちゃでしたので、いろいろな節をお見せいただきましたが、30歳を過ぎてから、自分から志願して修養科に入ってくれました。次男が修養科に通っていた時、ある日一緒に本部へ参拝に行くと、教祖殿で「お母さん、どこか体につらいところある?」と聞くので、「腰が痛い」と言うと、おさづけを取り次いでくれたのです。私は、次男がおさづけを取り次ぐ気持ちになったことがうれしくて、泣きながらおさづけを取り次いでもらいました。

三男が学校を卒業後、家を出て働くようになったときは、「神様だけは忘れないように」と、三男のアパートに神様をお祀りさせていただくようにしました。日々神様に手を合わせていたのかは分かりませんが、私たち夫婦が毎月の講社祭には出向くことができました。そして、しっかりとお道につながるように、毎日神様にお願いをさせていただきました。

時に子供は、目の覚めるようなことを起こしてくれて、親を成人させてくれます。私たち夫婦は、どの子のときも「この子を親不孝だと思ったら、親不孝の種がこの子に残ってしまう。だから、親を成人させるための親孝行の子ばかりだと思って通ろう」と言い合って通ってきました。

教祖は、「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで」(「稿本天理教教祖伝逸話篇」198「どんな花でもな」)と仰せくださいました。花が咲くまで親が子供を長い目で見て通らせていただいたら、教祖が必ず良いように導いてくださるのだと思います。いんねん通りのまいてきたものしか生えてこないのですから、私たちは、先を楽しみに、喜びの種をまきながら子育てをさせてもらいたいですね。

(上村和枝 秋津大教会前会長夫人)

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