ハートフルエピソードまんまる なんばなつこ

天理時報で新しく始まった4コマ漫画は、実話を元にしています。ここでは、そのオリジナルストーリーをお届けします。

立教185年(2022年)11月23日号掲載分

自分をアップデートする

アップデート社会に生きる

ここ数日、手持ちのスマートフォンが〈アップデート〉の予告をしていた。そのために夜間に電源につないでおくようにと。慣れっこになっているせいでもないが、今回数日つなぎ忘れた。すると、朝、すぐに電源につなぐようにと確認ポチ付きメッセージがきた。“必ず電源につなぐというのは、何事もアップデートには結構なパワーが要るということなのだな、ふむふむ”と、場違いな納得をした。

スマホだけでなく、PCやプリンターも頻繁にプログラムの更新を求めてくる。我々が毎日使う機器(デバイス)は、常にアップデートしなければならないようだ。ほかにバージョンアップという言葉もある。先日、4歳の孫の誕生日に小さな木製おもちゃをプレゼントすると、“これは新しいバージョン”と言って喜んでくれた。私がversionという英語を最初に覚えたのは、辞書の第○版という意味で高校生の頃だった。ちょっと悔しい。

昨日よりも今日、今日よりも明日と、良いものにしようとする努力は世の中にあふれている。各種メーカーは新しい食品や電化製品、車の新型モデルなどの発表を続け、販売市場での生き残りや販路の拡大を狙う。人の組織でも、効率性を上げるための組織改革や人の異動など、改善、改革は当たり前だ。

「アップデート」という言葉のもとには、英語の〈up to date〉という表現がある。これは最新の発展状況や、最先端のトレンドを取り込んだ様子を指す言葉だ。その用法は広く、最新の研究、最新の情報、またそのために必要な改善、変化といった意味を含んでいる。〈up to date〉な状況にする行為をupdateという動詞で表すので、それが日本語で「アップデートする」として定着したのだろう。

日本では普段、アップデートをソフトウェアの更新という狭い意味で使うようだが、今回の『With you』の企画では、それを自己を高める意識や取り組みととらえている。このことはアップデート(update)本来の意味を大切にしていて、洗練された企画としてうれしく思う。事実、アップデートとはただスマホの世界だけの話ではないのだ。私たちは常に次の新しい何かを求めている。今、世の中はデフォルト的にアップデート社会であり続けている。

モニターアンケートから思うこと
―ポジティブな変化を求めて

本誌モニターへのアンケート結果では、自分をアップデートするための具体的な方法として、スキルアップ、日常の身近な行動、語学、資格、信仰態度、さらに気持ちの持ち方などが挙げられていた。そして、その結果として、スキルアップ達成のほかには、自信、ポジティブな気持ち、前向き、すっきりとした感覚、新しい気づき、自己肯定感の向上、意味ある毎日を感じるなどの、精神的で心理的な向上が多くあった。

多くの人が、アップデートの結果として、自らの内面のポジティブな変化を挙げたのは偶然ではないだろう。アップデートの方法はさまざまでも、最終的には気持ちの問題へと意識が向けられるのは当然だと思うからだ。資格習得や語学検定の合格を目指しても、それ自体が目的とはなり得ず、それらを生かして何ができるか、その結果何が得られるのか、と考える。そして、それを深めていくとやがて気持ちの問題にたどり着く。

アップデートすることそれ自体は大きな目標のための手段に過ぎない。そしてその大きな目的とは、私たちの心の満足、肯定的で前向きな生き方につながっている。今回のモニターアンケートの結果はそれを表している。そして、それは、心以外はすべて親神様の計らいにより生きている人間のあり方を映し出している。心こそが私たちの責任領域―私たちは陽気に生きる心を求めている。

アップデートはどこから?
―「したいこと」「できること」「しなければならないこと」

アップデートする具体的手段や領域は、語学、スキルアップ、身近なことからの実践などさまざまにあるだろう。しかし、アップデートはしたいけれど、何から始めたら良いのか、と悩む人は少なくないはずだ。

私は、何かに取り組む時には、自分が「したいこと」「できること」「しなければならないこと」の3つに分けて考えるのが良いと思っている。アップデートについても、まずは「したいこと」の中から選べれば理想だろう。ただし誰もが「したいこと」があるとは限らない。その時、すぐにあきらめていないだろうか。そういう時こそ、自分に「できること」は何かと見つめてみよう。仕事でも趣味でも特技でも、私たちには何か神様から与えられた徳分がある。

しかし、これも必ずその時すぐに思いつくとは限らない。そんな時には、自分が「しなければならないこと」を考えてみてはどうだろうか。これは必ずある。そしてこれこそが、最も難しいかもしれないが、最も価値のある領域だと思う。なぜならこの時、他者との関係性が意識されるようになるからだ。

人は、自分のやりたいこと、できること、という自分中心の考え方から出発するのは簡単だ。ただしその分、やめるのも簡単。「しなければならないこと」は、私たちの意識を、自分中心から、親、子、兄弟などの家族のため、大切なあの人たちのため、大好きなあの人のためにと、他者中心へと向け直してくれる。小さな自分を乗り越えて他者に心が向けられ、他者を大切に思えば思うほどに、私たちの心は真の満足を得るのではないか。心が真に前向きになれるのではないか。

そしてその時、「したいこと」「できること」「しなければならないこと」が互いの境界線を越えて一つに溶け合っていくように思う。「しなければならない」と始めたことが、「できる」ようになり、充実した楽しさになり、さらに「したいこと」になっていく。

小さな半歩を続け、美しく生きる日々を

まずは小さな半歩から。そしてとにかく継続することが大切だろう。「大切なのは続ける勇気だ」(It is the courage to continue that counts.)とはウィンストン・チャーチルの言葉だ。何事につけ、継続する勇気(意識)以上に重要なことはないと思う。続けることが力となり自信となる。その時の先輩や指導者の役割は、半歩でも一歩でも踏み出すきっかけをつくり、背中を少し押してあげること、そして続ける勇気を持ち続けられるように寄り添うことだろう。

世の中は常に変化し、アップデートを続ける。しかし、その中で、変えてはいけないものや変わるべきでないものもある。それに気づいた時、私たちはそれ自体を変えようとするのではなく、それに向き合う自分の気持ちをアップデートすれば良い。

最後に、私たち一人ひとりの心の内にも変えてはいけないものがある。それは美しさである。「美」という字は、犠牲を表す「羊」と「大」からなり、枠にはまった考えや世間的な常識を超えて、無限大の犠牲を払うものだという理解がある(今道友信『美について』)。自己中心的な心を捨て、他者を思い、他者のために自らを捧げる態度はひたすら美しい。そして、その美しさが、その人の凛とした佇まいや、品位ある行動として、外面にも現れるように思う。神様は、私たちが我欲を捨て、たすけ合いながら生きることをお望みである。その生き方は美しいはずである。

陽気ぐらしへの道は、まさに小さなアップデートの繰り返しだ。そんな中でも、明日を目指して進むだけでなく、時には立ち止まり、昨日を振り返ることも大切にしてほしい。そこに神様のまなざしを必ず感じられるだろう。神様の懐に抱かれて、大切に生かされ生きている君だからこそ。

(東馬場郁生 天理大学副学長)

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