立教185年(2022年)1月5日号掲載分
日々陽気ぐらし
喜ぶ理は天の理に適う
平成三十年、妻が「子宮肉腫」の手術を受けました。一年間で十万人に一人という希少がんです。妻の通う大学病院でも過去に症例がなく、開腹するまで「子宮筋腫」との区別がつきませんでした。
手術前日には、腫瘍の重さは一キロという説明でしたが、実際には四・五キロと巨大でした。病理検査の結果は悪性の肉腫で、「平滑筋肉腫IB期」とのこと。医者に尋ねても分からないことが多く、ネットで検索してみると、この病気は猛スピードで進行すること、五年後の生存確率が低いこと、治療法が確立していないこと、抗がん剤の奏効率が低いことなどが分かりました。
幸いにも摘出手術は成功し、転移もありませんでした。医者からは再発予防として化学療法を勧められましたが、それも有効とは言い難いようで、医者は「賭け」という言葉で説明してくれました。医者が賭けで治療する、いわば「医者の手余り」と言える病気でした。結局、抗がん剤治療は、十分なエビデンスが確立していないので行わず、経過観察を選択しました。
それから半年が経ち、師走を迎えても元気に過ごす妻を見て、もう大丈夫だろうと思い始めたころに再発が分かりました。再度、抗がん剤治療を勧められましたが、妻はそれを拒否しました。再発したら神様に治してもらうと、ひそかに決めていたようです。医者はもちろん、私も子供たちも治療を受けるように説得しました。妻は渋りましたが、年明けに抗がん剤治療の予約を入れることは承知してくれました。
しかし、年末から正月にかけて夫婦で話を重ねるうちに、「この道を信仰しているのだから、神様が私に、この身上を下さった意味を悟らせてもらいたい。どうせ賭けるのなら、神様に賭けてみたい」という妻の思いを痛いほど感じ、妻の望み通りにさせてやりたいと思うようになりました。
妻は、初回の抗がん剤治療を当日になってすっぽかし、医者にひどく叱られました。そのときに、「抗がん剤治療のほかには薬も治療法もないので、今後は緩和ケアのことも考えてください」と言われました。余命については、「はっきりいつまでとは言えないけれど、そんなに長くは生きられない」と告げられました。ショックでした。再発したら難しいと覚悟はしていましたが、現実として受けとめることは容易ではありませんでした。
その日から妻は、いま生きていることを喜び、神様から身体をお借りしていることに感謝して、一日一日をありがたい、結構と思って生きていくことを心に定めました。お腹の中には五センチの腫瘍がありますが、薬一つ飲むことはありません。今日一日を喜んで生きることが薬であり、毎日のおさづけと、信者さんをはじめとする方々の真実のお願いづとめが心の支えでした。
身体がしんどくて寝込む日もありましたが、そんなときには、「やったー!」と言ってバンザイをし、身体中で喜んでみることを始めました。そうすると身体の中の細胞が、いきいきと元気になるように感じるそうです。病気だから喜べないのではなく、病気だけれどありがたいと、喜ぶことを実践していました。いつしか妻の周りには笑顔が増え、病気の妻が、教会を明るく和やかに変えてくれました。
そんな心が天の理に適ったのでしょうか。不思議なことに、春になるにつれて元気に過ごせる日が増えていき、夏を迎えるころには寝込むこともなくなり、猛暑のなかの「こどもおぢばがえり」に帰参することができました。そして秋になり、十月の診察では、五センチの肉腫が二・二センチまで小さくなり、もともと小さかったもう一つは、消えて無くなっていることが分かりました。
その年の正月には「化学療法をしても、肉腫は小さくなることはあっても無くなることはない」と言われていたのに、九カ月で不思議なご守護をお見せいただきました。神様にもたれて、どんななかも喜びに変えて通った妻の心を神様が大きく受け取ってくださり、うれしくて、ありがたいお働きを頂戴しました。医者からは「髙橋さんの勝ちね」と言われたそうです。
さらに、いまでは肉腫の大きさが二センチほどになり、一部が石灰化していて、どうやら終息に向かっているとのこと。去年のいまごろは死を覚悟していたことが夢のようです。
親神様の心は、いつも子供である人間を可愛い、そしてたすけたいという思いで溢れているのだと思います。その思いを妻が十分に頂戴することができたのは、どんななかでも神様が連れて通ってくださることを信じて、いまを喜んで生きるという心を定め、一日一日をありがたい、結構と、明るい心で通ったからでしょう。心通りに、明るいご守護をお与えくだされたのだと思います。
「おさしづ」に、
あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は天の理に適う。
(明治33年7月14日)
とあります。喜ぶことは神様の望まれる陽気ぐらしに通じる道だと思います。喜べないことを喜びに変えていく心を、親神様は喜んでくださる。そのことを、妻の身上を通して教えていただいたように思います。そして、それは私たち夫婦にとって、かけがえのない宝物となりました。
いまゝでと心しいかりいれかへて
よふきつくめの心なるよふ
(おふでさき 十一 53)
せっかく頂戴した結構な宝物を失わないように、夫婦の心を、天の理に適う陽気な心に入れ替えて、明るくおたすけのできる教会を築いていきたいと思います。
(髙橋真司 教会長 五十八歳 東京都)