すきっと Vol.22 - page 15
病
院
の
一
階
部
分
を
飲
み
込
み
、
職
員
の
う
ち
十
二
人
が
家
を
流
さ
れ
た
。
一
時
、
常
勤
医
師
不
在
と
な
り
、
病
院
の
存
立
に
関
わ
る
非
常
事
態
と
な
っ
た
が
、
二
〇
一
一
年
十
月
、
川
島
実
医
師
が
着
任
。
以
来
、
新
た
に
加
わ
っ
た
常
勤
医
師
や
短
期
研
修
医
、
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
医
師
・
看
護
師
ら
の
協
力
の
も
と
、
今
年
三
月
十
一
日
に
入
院
患
者
受
け
入
れ
を
再
開
す
る
な
ど
、
病
院
と
し
て
の
機
能
を
回
復
し
つ
つ
あ
る
。
し
か
し
、
ま
だ
ま
だ
毎
日
が
闘
い
の
連
続
だ
。
秋
も
深
ま
っ
た
十
月
初
旬
、
本
吉
で
は
早
朝
か
ら
小
雨
が
ぱ
ら
つ
い
て
い
た
。
川
島
院
長
の
一
日
は
、
朝
の
ジ
ョ
ギ
ン
グ
か
ら
始
ま
る
。
午
前
六
時
、
集
ま
っ
た
病
院
の
若
手
ス
タ
ッ
フ
三
人
と
と
も
に
、
五
キ
ロ
の
コ
ー
ス
を
走
り
始
め
た
。
標
準
コ
ー
ス
は
約
八
キ
ロ
。
そ
の
日
の
メ
ン
バ
ー
に
合
わ
せ
て
コ
ー
ス
を
選
ぶ
と
い
う
。
病
院
の
始
業
は
午
前
八
時
半
、
い
つ
も
の
よ
う
に
朝
礼
か
ら
始
ま
っ
た
。
こ
の
日
は
ま
ず
、
新
任
医
師
の
紹
介
が
行
わ
れ
た
。
こ
の
病
院
に
と
っ
て
、
待
望
の
三
人
目
の
常
勤
医
師
だ
。
川
島
院
長
の
ボ
ク
シ
ン
グ
を
通
じ
た
旧
知
の
友
人
で
、
一
年
に
及
ぶ
院
長
の
ラ
ブ
コ
ー
ル
に
根
負
け
し
て
、
赴
任
を
決
意
し
た
と
い
し
ょ
く
じ
ょ
う
い
う
。
院
長
か
ら
委
嘱
状
が
手
渡
さ
れ
る
と
、
ス
タ
ッ
フ
か
ら
拍
手
が
起
こ
っ
た
。
引
き
続
き
、
看
護
師
長
の
司
会
の
も
と
、
き
ょ
う
の
業
務
に
つ
い
て
確
認
を
行
う
。
時
折
、
川
島
院
長
が
注
意
点
を
付
け
加
え
て
フ
ォ
ロ
ー
す
る
。
朝
礼
は
一
〇
分
ほ
ど
で
終
了
。
終
始
、
み
な
笑
顔
で
和
や
か
な
空
気
が
流
れ
て
い
た
。
川
島
院
長
に
、
新
任
医
師
の
着
任
に
つ
い
て
尋
ね
た
。
「
よ
く
決
心
し
て
く
れ
た
と
思
い
ま
す
。
医
師
に
と
っ
て
、
違
う
場
所
へ
赴
任
す
る
の
は
、
そ
う
簡
単
な
こ
と
で
は
な
い
ん
で
す
。
家
族
の
こ
と
も
あ
り
ま
す
が
、
何
よ
り
も
自
分
の
担
当
す
る
患
者
さ
ん
を
ど
う
す
る
か
で
悩
み
ま
す
。
そ
れ
に
、
京
都
大
学
医
学
部
在
学
中
に
、
プ
ロ
ボ
ク
サ
ー
デ
ビ
ュ
ー
。
世
界
の
頂
点
を
目
指
し
て
対
戦
相
手
と
グ
ラ
ブ
を
交
え
、
西
日
本
新
人
王
タ
イ
ト
ル
を
獲
得
す
る
も
、
限
界
を
感
じ
て
引
退
。
そ
の
後
、
家
族
を
養
う
た
め
に
医
師
の
そ
う
ぐ
う
道
を
歩
み
、
山
形
県
内
の
病
院
で
在
職
中
、
東
日
本
大
震
災
に
遭
遇
し
た
。
毎
週
末
、
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
医
師
と
し
た
て
被
災
地
へ
通
っ
た
が
、
一
年
経
っ
て
も
復
興
に
向
か
わ
な
い
現
地
の
実
情
、
な
か
で
も
常
勤
医
師
不
在
で
窮
地
か
わ
し
ま
み
の
る
に
陥
っ
た
市
立
本
吉
病
院
を
見
か
ね
て
、
医
師
の
募
集
に
手
を
挙
げ
た
。
以
来
、
日
々
闘
い
続
け
る
川
島
実
・
気
仙
沼
市
立
本
吉
病
院
院
長
の
あ
る
一
日
を
追
っ
た
。
本吉病院
(左)
はJR本吉駅から徒歩5分。周囲には
稲刈りを終えた田んぼが広がっていた
被
災
地
で
医
療
の
理
想
求
め
チャレン
ジ
続
け
る
闘
う
ド
ク
タ
ー
ヒューマン 川島 実
67
1...,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25
5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,...26