教祖のひながたに親しもう

教祖のひながたをより深く学びたい、あの人にオススメしたいなど、

さまざまな人にピッタリの〝イチオシ本〟を、道友社のWeb店長と店員が紹介します。

また書評欄では、それぞれの本がどういう本なのかを分かりやすく紹介しています。

手に取ってしまいたくなるかも!? ぜひお読みください。

※本の価格はすべて税込。

店長 店員
もう少し学びたい人に
ひながたを子育てに生かしたい
日ごろ持ち歩ける本は?
腰を据えてじっくりと

もう少し学びたい人に

もう少し学びたい人に

 教祖のお話を聞いたことはあります。もう少し知りたいのですが、どの本を読めばいいですか?

 お道の教えに詳しくなくても、教祖のお姿やお言葉が心に響く『おやさまの情景』(道友社編)がおすすめ!

 全80ページで構成される本書には、『稿本天理教教祖伝逸話篇』から抜粋された12篇の逸話が、素朴で温もりのあるカラーイラストとともに〝4コマ絵本〟の形式で描かれています。分かりやすい言葉で説明されているので、本を読むのが苦手な人でも、漫画を読むような感覚で〝逸話のこころ〟にふれることができますよ。読後に、「もっと教祖について知りたい」「あの人にも読んでもらいたい」と思える〝入門編〟です。

 また、「忙しくて本を読む時間がない!〟」という人には、信仰人生の指針となるような教祖のお言葉163節が、1ページごとに抄録されている『生きる言葉ーー天理教教祖の教え(道友社文庫)』(道友社編)がピッタリ! 毎日この本を1ページずつ読むことを習慣にしてみては。私の場合、朝起きたときや家を出る前に、1節ずつ目を通して、教祖のお言葉を胸に一日を過ごしています。


『おやさまの情景』

『おやさまの情景』道友社編

990円

書 評

目にも心にも優しい絵本

西園和泉天理中学校美術教諭(肩書は当時)

 天理時報特別号『人間いきいき通信』の表紙絵を描かせてもらって、21年目になります。

 その『人間いきいき通信』に、2010年から教祖の逸話に絵を添えた連載が不定期に掲載されています。

 画期的なことは、文章だけではなく、それぞれマンガのように親しみのある絵が中心になっていることです。本書は、その中から抜粋したものが収められています。

 この全編を彩る味わいのある絵を担当しているのが、森本誠氏。道友社編集出版課所属のデザイナーであり、イラストレーターであり、画家です。これまでずっと、親しく道友社での私の仕事をサポートしてくださっています。

 作風は変幻自在。道友社の多くの刊行物の装丁、イラストやカットを、ほぼ一手に引き受けています。本の片隅に小さな文字で森本誠の名前をいくつも発見するはずです。もちろん、私の画文集『木かげと陽だまり』の装丁も。

 そんな森本氏が描いた絵なので、ページをめくると、とても温かみのある雰囲気に浸ることができます。

 わが家で家族4人がおつとめにそろうとき、『稿本天理教教祖伝逸話篇』を拝読することを始めてからずいぶん経ちます。順番に回し読みをするのです。私自身が声に出して読んだり、家族が音読するのを聴いたりすると、なぜか心にすっと教えが治まるような気がします。

 現在のコロナ禍のさなかは、当たり前に思っていたことが当たり前ではないことに気づかされる毎日です。このような世界規模の困難に直面するのは、戦争を体験していない私が60年間生きてきて初めてのこと。こんなときこそ人々は、教祖のひながたに学ぶことが多いのではないでしょうか。

 日々の生活の中で、『逸話篇』はいろいろな指針を示してくれます。

 喉元過ぎれば、すぐ反省したことも忘れてしまうので、このようなお手ごろサイズの絵本があれば、好きなページを開いて何度も読み直すことができます。目にも心にも優しい本です。

(『天理時報』2021年3月28日号より)


『生きる言葉ー天理教教祖の教え』

『生きる言葉ー天理教教祖の教え』道友社編

660円

ひながたを子育てに生かしたい

ひながたを子育てに生かしたい

 初めての子育てに戸惑う毎日です。教祖のひながたを学び、親として一歩成人したいと思うのですが、おすすめの本があれば……。

 日々、家事や子育てに頑張るお母さんにおすすめしたいのが『拝啓おやさま――道の子の〝心の文箱〟』(道友社編)です。

 この本は、平成元年から12年間にわたって『天理時報』で連載された読者投稿欄「拝啓おやさま」の中から55編を取り上げ、一冊にまとめたものです。〝教祖へのお手紙〟の一つひとつに、日常で感じる信仰の喜びやご守護への感謝の思いが、飾らない言葉で綴られていて、共感・感動すること間違いなし!

 教友たちの、教祖をお慕いする気持ちに心がほっこりして、思わず胸が熱くなり、涙がこぼれるようなお手紙も。また、堤保敏氏の四季折々の挿絵と短いコメントも、読み手に元気を与えてくれます。日々の忙しさで心が休まらない人に、ぜひ手元に置いてもらいたい一冊です。

 そして、この本と併せて読んでもらいたいのが『おやさまへの手紙』(道友社編)。先ほど紹介した本と同様に、この本に載っているお手紙は、5歳から11歳までの子供たちが書いたものです。

 たどたどしいイラストや文字に、思わずクスっとするものから、考えさせられるものまで、さまざまなのがいいですね。「こんなに小さい子でも、教祖の存在を確かに感じている……」と、子供に教えを伝える大切さについて、あらためて考えさせられる一冊です。

 読み終わった後、お子さんと一緒に、教祖にあてて、お手紙を書いてみては。教祖を思う子供の純粋な言葉に、親として新たな気づきがあるかもしれませんよ。


『拝啓おやさまー道の子の〝心の文箱〟』道友社編

『拝啓おやさまー道の子の〝心の文箱〟』道友社編

990円

書 評

生きる喜び綴った手紙の選集
『天理時報』同名連載の出版化

道友社編集部

 「ご存命のおやさまに宛てて、お便りを差し上げられたら……」

 こんな素朴な思いが発端となり、『天理時報』紙上で平成元年から12年末まで連載された読者投稿欄「拝啓おやさま」。人生の節目に際しての喜びや誓いを淡々と綴った手紙は、静かな波紋を広げた。

 12年というロングランの連載は、時報では稀。この間に編集部へ寄せられた手紙は、およそ千通。そのうち約600通が紙上に掲載されたが、本書は、その中から55編を取り上げてまとめたもの。おやさまへの思慕の情を込めた手紙の選集という意味で、「道の子の〝心の文箱〟」との副題が付けられている。

 連載時と同様に、本書でも、手紙の合間に美しい草花の絵と短い言葉が添えられている。これら20枚のカラーの挿絵は、『あわてるからあかんのや』『あわてるからあかんのや Ⅱ』(ともに道友社刊)の著書でおなじみの堤保敏氏(知的障害者施設「堤塾」塾長、剣道場・以和貴道場長)による"描き下ろし"。おやさまへ宛てた手紙を通して、市井のようぼくたちの生きざまを見続けてきた堤氏は、本書のあとがきの中でこう言う。「信じる者は強いという当たり前の真実を、私はあらためて教えられた」と。

 本としてまとめるに当たり、編者は、未信の人にも読んでもらえるよう手紙の選択に配慮したという。何げない暮らしの一場面を切り取り、信仰者ならではの心遣いやささやかな善行を記したもの。家族の出直しというつらい節目の中に、おやさまの温かいまなざしを感じ取り、心を奮い立たせる遺族の話。阪神大震災の直後、ファクスで送られてきた被災者の生々しい声。余命いくばくもないと医者から告げられたようぼくが、病院のベッドで、今〝生きている〟喜びを、神と人への感謝の思いを込めて語った話など、ときに目頭が熱くなるのを禁じ得ない。

 投稿者の中には、すでに出直した人もいる。話題としては「十年ひと昔」の感のものもあるが、どの手紙からも、名もなき"里の仙人"のありのままの声が生き生きと伝わってくる。

 まえがきは、こんな言葉で締めくくられている。「どうぞ、心静かにお読みください」。お見舞いに好適の書である。

(『みちのとも』2001年7月号より)


『おやさまへの手紙』

『おやさまへの手紙』道友社編

440円

書 評

教祖にあてた子供たちからの手紙

道友社編集部

 教祖ご誕生200年を記念して、お道の子供たちから教祖へあてた手紙を募集しました。本書は、応募約300点の中から32点を選び、まとめたものです。

 手紙には、素朴な疑問、感謝の気持ち、日々の出来事やお願いごとなどが、絵とともに書かれています。

 思わず吹き出しそうなユーモラスな質問や、教祖をお慕いする気持ち、大人顔負けの鋭い指摘が飛び出したり、身上を通して心の切り替えを決意したりと、子供たちのストレートな気持ちが、ありありと伝わってきます。その一つひとつから、純粋さやひたむきさとともに、信仰心の芽生えも感じ取ることができます。

 また、年を重ねるごとに、いつのまにか忘れてしまったことがなんと多いものかと、子供たちがうらやましく思えます。

 「どうして かみさまは こころのなかに いるのですか?」

 「ぼくは、友達がゴミひろいをしているので、ぼくも、みならって、その友だちといっしょに駅でゴミをひろっています」

 「おやさまは つよいですね。私も、おやさまのように、自分につよくなりたいです」

 「地球は しょうめつして しまうんでしょうか? わたしは しょうめつというよりか ごみで地球がなくなってしまうような気がします」

 「私は教(おや)さまのようなやさしい人になりたいです。私は、こまっている人をたすけたり、お手つだいや、人のやくにたちたいです」

――本文から

 子供たちは、教祖を身近に感じながら、一歩一歩成長していくことでしょう。豊かな感性と勇気を忘れることなく、世界を陽気ぐらしに導いてくれると信じたいものです。

 老若男女を問わず、ご家族で楽しめる一冊です。

(『みちのとも』1998年2月号より)

日ごろ持ち歩ける本は?

日ごろ持ち歩ける本は?

 通勤電車の中や仕事の合間に、気軽に読める本はありますか?
  

 電車の中というと、カバンの中に入れて持ち歩けるコンパクトな本がよいですね。

 そこでおすすめしたいのは、『教祖より聞きし話・高井猶吉』(高井猶久編)です。

 高井猶吉先生は、19歳からお屋敷に住み込んで、教祖から直接教えを仕込まれた方です。当時の先生は字が書けなかったことから、教祖のお話を必死に聞いて、一度聞いたら決して忘れなかったと伝えられています。この本には、そんな教祖から伺ったお話が満載されています。それぞれのお話を通して、教祖を身近に感じられる本です。

 次に紹介したいのは、『ひながたを身近に――天理教教祖伝によせて(道友社文庫)』(西山輝夫著)です。この本は、序で「こんな身近なところに教祖のひながたがあったのかという発見をすることに力点の一つをおいた」と書かれているように、教祖のひながたを、現代の私たちにとっての〝確かなものさし〟として捉えようと考察が重ねられています。一話が短くまとめられているので、どんどん読み進められるでしょう。

 仕事の合間の短い時間に読める本でおすすめなのは、『〝逸話のこころ〟たずねて――現代に生きる教祖のおしえ』(道友社編)です。

 この本では、『逸話篇』に登場する先人の子孫が、先人の人となりや背景を紹介しながら、逸話に込められた御心を思案しています。いまの自分と照らし合わせて読んでみてください。困難や苦労の中にこそ、頼るべき確かな道しるべが見えてくるでしょう。


『教祖より聞きし話・高井猶吉』高井猶久編

『教祖より聞きし話・高井猶吉』高井猶久編

990円

書 評

真実味あふれる語り口

宮森与次本部員

 教祖100年祭三年千日の旬に、道友社新書シリーズとして、先人の過した教話(四)「教祖より聞きし話・高井猶吉」(高井猶久編)が発刊された。編者は高井猶吉先生の曽孫に当たる。

 高井猶吉先生と、私の祖父・宮森与三郎は共に青年時代より教祖のもとでお育て頂いた間柄である。この書に納められた数々のお話は、教祖のお側に仕えた者のみの感動と、とりわけ若い時代にお屋敷に伏せ込み、日常茶飯、教祖のお仕込みを頂きながらつとめられた、そのお仕込みを、新鮮な目と耳と心で受けとめ、それを生涯忘れまいと、心に刻みつけ、自らの血肉とし、子孫に語り継ぎ、教えを乞う人々には惜しみなく語り伝えた、飾り気のない純粋な信仰が、行間ににじみ出ている。読んでいるうちに、教祖とその時代が浮き彫りにされ、時の流れを止めて、そこに、釘づけにされるような錯覚を与えずにはおかない。

 先生は文字が書けなかったと編者は言う。従って、この書は高井家の代々の方によって書き残されたものだが、あたかもご自分で書かれた文章のように脈々と息づいているのには驚かされる。

 俗に心眼を開くというが、先生は文字を書き残さず、心にお話を焼き付けたのであろう。写真で言うネガである。

 見たまま、聞いたまま、感動したままを、何の修正も加えず心に焼き付け、必要ならばいつでもコンピューターのごとく取り出して言葉に換えられたのであろう。なまじ推敲を重ねた文章よりも、かえって親しみと真実味にあふれ、素朴な語り口は、時折キラリと光る珠玉の輝きを放って、読む者の心を射る。

 先生は、「れんこん掘り」とあだ名され、「一度覚えたら生涯忘れん」と自ら言われたごとく、今までわれわれが教祖御伝で拝読したり、聞き知っている逸話やお話などが、あたかも耳新しく聞かせていただいているように、あざやかによみがえって来るのも不思議である。それは、自らその場に居合わせた者の生の体験から来る本ものの味わいと言うべきかも知れない。

 先生は、明治13年からお屋敷ひとすじに60年来つとめ切られた方である。その先生と、祖父・与三郎が、教祖50年祭の前に、現在の教祖殿が完成しておちばが参拝者であふれんばかりになった時、「ほんまやったなあ ほんまやったなあ」と言いながら抱き合って泣いたという。教祖を親と慕い、親のぬくもりの中で育てられ、教祖の御苦労、御苦心を肌で感じた者の感動を伝える言葉に、これ以上のものはない。

 今、教祖100年祭を目前に、東西礼拝場完成と上段改修、かんろだいすえかえの佳節に、先生と祖父がもし居合わせたら何と言おうか。

(『みちのとも』1984年5月号より)


『ひながたを身近に――天理教教祖伝によせて』西山輝夫著

『ひながたを身近に――天理教教祖伝によせて』西山輝夫著

990円

書 評

綿密な描写に深い洞察力

荒木健夫天理教校専修科講師(肩書は当時)

 「わたしほど不幸せな女(おなご)は世の中におらん」

 いくら思い返しても、どんなに思案を重ねてみても、そういう言葉にしかならなんだ東本初代会長中川よしも、暗い、苛酷な血命に泣いた一人であったが、明治23年21歳の時、ちょうど大阪谷町で布教中の松永芳松(南初代会長)から神様のお話を聞かせてもろうたのである。初めて聞く話のせいもあってか、最初はあまり感応もわいてこなかった。ところが、教祖ひながたのお話が進むにつれて、よしは、泣けて泣けてどうしようもなかった。

 「世の中に、こんなに偉いお方がおいでになるとは知らなかった」

 こみあげてくるショックで時々、背骨まで折れんばかりになるのを覚えた。とうとう人目をはばからず、ウ、ウと全身で嗚咽(おえつ)した。

 よしは教祖に、じかに目にかかったわけではない。ただ、教祖ひながたの道を拝聴したまでのことであった。だが、心にありありと教祖の面影を見たのである。教祖ありてこそ今日の日と、ひたすら生涯をかけてひながたの道をたどっていったのである。

 「ひながたを身近に」が119回をもって一応約2年有半の天理時報の連載を終え、今回、単行本として刊行される運びとなったのである。とにかく一気に読破して、フトわれにかえってみたところ、テレビなどでおなじみの、タイムトンネルをくぐって、今しがた再び現代に帰還してきたような気持ちである。

 当時の歴史的背景というか一コマ一コマの情景があたかも目で見るように描かれている。第一、出典がその都度明示されているので、それも言外の広がりを与えている。

 情況に応じて、その場その場の歴史的認識を惜しまず試みてくれているのである。当時の時代背景をよく知っているということは、ひながた理解の上には欠かすことができない要素なのである。特に出来事を取り巻くいろんな人たちの意識を分かりやすく、しかも、なるほどと表現してくれていることは、よほどの研究と筆力を物語るものであろうが、秀司先生にしても、こかん様にしても、また高弟の先生方にしても、人の心の動きとして、あからさまであり包み隠すところがない。しかも、まことに心にくいばかりの構成で表現されているのである。悲しさが聞こえる。痛さが、本当に自分の身にうずくように思えるのである。必死の形相が眼前にせまり、その心臓の高鳴りがドッドと響いてくるように思われる。

 教祖が歩まれた50年の舞台となった幕末、明治の上を思い、今また、だれにはばかることもなく信仰ができる今日の往還の様を思い比べると誠に想像を絶することばかりだなと感ぜられる。

 教祖ひながた自身、ものすごい大きなエネルギーにもたとえられると思うのであるが時代を超え、国家を越え、ほんとに人間を解放しようとなされたのが、教祖ひながたの道であったのだなと思われてならない。

 ともあれ、世界たすけの旗印を掲げて100年祭に向かう私たちにとって、教祖ひながたの理解の上に、これほど自信を与えてくれるものはないのではないかと、熱烈な印象を覚えた次第である。

(『天理時報』1977年3月20日号より)


『〝逸話のこころ〟たずねて――現代に生きる教祖のおしえ』道友社編

『〝逸話のこころ〟たずねて――現代に生きる教祖のおしえ』道友社編

1,430円

書 評

道を歩む者にとって珠玉の話集めた書

安井幹夫一広分教会長(肩書は当時)

 本書は『稿本天理教教祖伝逸話篇』に収載されている教祖の逸話を、いまに返して読み解こうとしたものである。それに加えて、本書の特徴は、逸話に取り上げられた先人の子孫が、それぞれ執筆されているところにある。だから、登場する先人たちが実に生き生きと描かれている。

 いうならば、私たちがいままであまり知り得なかった、先人の子孫ならばこその背景が語られ、先人自身の逸話も織り交ぜながら記されている。そして、そのポイントとなる事柄を現代の問題に引き寄せて、その心の持ち方なり、解決への道筋が提示されるのである。帯紙に記された「教祖のお言葉を先人たちはいかに受け取り、いかに歩んだのか」という事柄に加え、いまの私たちの暮らしにどう生かすか。そのヒントが語られている。

 先人の人となりやその信心の様子など、断片的に聞き及んでいることはあっても、教会系統が違っていると、そうした話はあまり伝わってこないことがある。私の不勉強であろうが、例えば、142「狭いのが楽しみ」という河原町大教会初代会長、深谷源次郎氏の「陽気に神が入り込む」の項に記された話には、圧倒され心を奪われてしまった。こんな諭し、話があるのかと。

 あるとき、子供が授からずに悩んでいた女性が源次郎のもとを訪ねてきた。その際、源次郎は「あんたは、よほど前生で徳を積んでこられたのや。それで今生では、手のかかる子供で苦労せんかてよいのや。徳が減らんように日々喜んでお通りやすや」と優しく諭した。


 その女性は「あんなにうれしいことはなかった」と喜び、間もなく女の子を授かった。(本文255〜256ページ)

 という話である。たすけの現場における、教えの説き方、諭し方をあらためて考えさせられた。さらに、「病人は喜ばさにゃ神様のご守護はない。いずますようではたすからん。陽気に神が入り込んでくださるのや」と源次郎氏が口癖のように語っていたことが紹介されている。そして、「その人並みはずれた源次郎の陽気さの源は、『小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで』との教祖のお言葉にあったのではないだろうか」と述べるのである。

 また目を現代に転じ、「家庭内での夫婦間の問題、子供の不登校、虐待」など、心の闇に陥る人々が少なくないとして、源次郎氏のように、いまを喜び、将来を楽しんで通ることを呼びかけている。

 もちろん、話は深谷源次郎氏にとどまるのでなく、あわせて33編の先人が登場する。それぞれに教祖から戴いたお言葉を生涯の宝として、この道を歩まれたのである。どれ一つをとってみても、道を歩む者にとって、珠玉の話であろう。

 もう一人の先人を取り上げておこう。それは190「この道は」の松村吉太郎氏である。当時、吉太郎氏は役場に勤め、学問の素養もあった。ところが、お屋敷に詰めていた人たちの多くは無学で、その言動に粗野なものを感じ、軽侮の目を向けていたようである。そこに「この道は、知恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや」との教祖の仰せである。吉太郎氏は、このお言葉に、お屋敷に詰めていた人たちこそが、教祖の仰せのままに、わが身を忘れて素直につとめる道の先達だと悟ったという。

 こうした吉太郎氏の心の軌跡を読み取るところに、あの有名な明治21年1月8日の「松村吉太郎おぢばへ参詣おさしづ」のお言葉が、にわかに私たちに迫ってくる。いうならばおさしづの解釈に、こうした逸話が厚みを与えるということである。「天理王命というは、五十年前より誠の理である。(中略)ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け」というお言葉に、私たちは、もう一度心を正さなければならない。あまりにも人間常識にとらわれていないか。そんな教祖のお声が聞こえてくるようだ。

 『稿本天理教教祖伝』や、高野友治氏の著作『先人素描』など、さらに道友社新書の「先人の遺した教話」シリーズの書物によって知られている人たちの名が、次々と出てくる。うれしい、楽しい気持ちで読むことができた。

 もちろん、ここで語られている先人に限られるわけではないが、こうした先人あればこそ、脈々と教祖のお心が伝えられてきているのである。そのことに、まず私たちは喜びの心をもって、本書を読ませていただきたい。

(『みちのとも』2014年4月号より)

腰を据えてじっくりと

腰を据えてじっくりと

 『教祖伝』の大まかな流れは知っていますが、あらためて、じっくり学び直すための、おすすめの本を教えてください。

 まず、おすすめしたいのは『ひながた紀行――天理教教祖伝細見』(道友社編)です。

 この本は、『稿本天理教教祖伝』をベースに、当時の時代背景を解説するコラムや脚注、カラー写真や地図など、『教祖伝』を深く理解するためのさまざまな工夫がなされています。たとえば、お屋敷の平面図が時代の変遷に応じて分かりやすく示されていて、当時のお屋敷の様子をイメージすることができます。『教祖伝』を深く学びたい人には、最初に手に取っていただきたい〝参考書〟です。

 次に紹介するのは『私の教祖』(中山慶一著)です。著者は、『教祖伝』の編纂に携わられた先生です。はしがきに「私の希望する教祖は生きた血の通った教祖である。史実を通してその背後に示されている教祖の精神を参究したい」とあるように、本書では、『教祖伝』という骨格に、著者の信仰による肉づけがなされているように思います。『教祖伝』をじっくりと学びたい方におすすめします。

 もう一冊は、『御存命の頃』(高野友治著)です。昭和7(1932)年から道友社編集部で勤めた著者は、当時まだおられた古老の話を集めて回り、その内容を「教祖伝の時代背景」として『天理時報』紙上に連載しました。この本は、それらを一冊にまとめたものです。

 本書には、教祖伝の時代背景の考察とともに、お道に尽くされた先人の証言が随所に見られます。教祖に導かれた先人の、生き生きとした信仰の一端を学べる本でもあります。


『ひながた紀行――天理教教祖伝細見』

『ひながた紀行――天理教教祖伝細見』道友社編

1,760円

書 評

優れた教理勉強のガイドブック

友永 轟友永循環器医院院長(肩書は当時)

 まだ「憩の家」(病院)で駆け出しの医者のころ、入院していた患者さんから頂いたパンフレットを、数十年ぶりにたまたま開いてみましたら、それは上田嘉成先生の母上の講演記録でした。

 その中に、昔のお産の話がありました。お産は汚れたものとされ、納戸で出産する風習があったことを、実際に見聞された経験から話しておられました。これはとてもリアルで、迫力と説得力が感じられました。なるほど、をびや許しが当時の人々にどれほどの希望と自信を与えたか、このお話から初めて心に治まった思いでした。

 教祖がおふでさきを書かれたころ、それを各号に綴じていかれた方は、教祖と同じ時間の中で読まれたはずです。移り変わるおやしきの状況を実際に知ったうえで、おうたの一つひとつを理解されたに違いありません。できることならば私も、教祖と同じ時間、同じ状況の中で、おふでさきを読ませていただけたらと念願します。

 『ひながた紀行』は、こんな私の願いをかなえてくれる好適の案内書です。『稿本天理教教祖伝』をベースにして、当時の客観的な時代分析や、詳しい年表、美しいカラー写真など、各所に工夫が凝らされていて、優れた教理勉強のガイドブックとなっています。

 教祖が誕生されてからの20年ほどは、凶作も少なく穏かな世上でしたが、立教当時には飢饉と天災の打ち続く時代背景があったことなど、幅広い教理研究の成果が十分に取り入れられています。

 特に、おやしきの平面図が時代の変遷に応じて分かりやすく示されているのも、大変理解しやすく、勝手な空想に引き込まれてしまいます。

 たとえば明治16年ごろの平面図を見て、イメージを巡らせます。教祖が御身をかくされた場所は御休息所でしたから、かんろだいから真北に4部屋分くらい離れた所だろうと想像します。現在の北礼拝場の真ん中と結界との中間ぐらいでしょう。今も私たちはそこに座っておつとめをさせていただくことができます。明治20年正月26日のあの日にタイムスリップできるような気がします。

 これからも血の通った教理の理解に、こんな親切な本がもっと出版されることを希望しております。

(『みちのとも』2001年10月号より)


『私の教祖』中山慶一著

『私の教祖』中山慶一著

2,420円

書 評

ひながたを元に陽気ぐらしへの道のたどり方を学ぶ書

寺田好和本部員・天理教校長(肩書は当時)

教祖120年祭記念出版の一つとして、装丁も新しく復刊された『私の教租』を読み、懐かしい中山慶一先生の姿が浮かんできた。

私には、中山慶一先生といえば教祖伝、教祖伝といえば中山慶一先生といえるほどの強い印象がある。先生のお話の中にある教祖は、まことに人の心に響くお姿で、表現は不適切だが、人間味のある教祖がこちらの心に映ってきた。あの優しい目を時に潤ませながら語られる先生からは、教祖に対する熱い心情が、素直に伝わってくるのを感じた。

それは先生が若い時代、本部員の子としておぢばで生まれ育てられる中、水引生活(人から頂くお礼で生活すること――先生の言葉)は嫌だと、生きる糧を身につけるために、京都の三高に就学中、尺八の勉強をして免許まで取られ、その後、信仰的な悟りを拓かれた、いわば一人の人間として人生に対する真摯な取り組みの中から培われた心情によるものであったのだろうか。

先生が東京大学3年生のとき、「一生の中で、ぜひ自分の教祖伝を書きたい」と一念発起されたという。大学での卒業論文は「教派神道の発生過程」と題され、この論文は昭和7(1932)年に森山書店から出版されるほどの素晴らしい内容であった。

卒業後、お屋敷に帰られてからは、お屋敷に保存されている古文書のうち、教祖伝に関係のある資料整理の御用を頂かれ、教祖50年祭直前に教義及史料集成部でまとめられた『教祖伝史実校訂本』の下巻(上巻は山澤為次先生、中巻は上田嘉成先生)を担当された。

さらに、戦後の復元教典編纂の御用を、また教祖70年祭のとき出版された『稿本天理教教祖伝』編纂の御用もつとめられている。

本書は、そうした先生が、豊富で確かな資料をもとに、教祖がお過ごしになった時代背景の中で、先生の言葉を借りれば〝血の通った教祖像〟を描こうとされたものである。しかも、それを断定することは避け、あくまでも一個人の描いた教祖の姿として、あえて『私の教祖』と書名を付けておられるが、本書からは、われわれが教祖のひながたを求めるあり方を多く学ぶことができると思う。

また、『稿本天理教教祖伝』のほかに、教内における教祖の伝記として、これほど優れたものはないと思う。

講壇に立たれた先生は、いつも教祖のひながたを日々の生活の中に活かすべきを説かれ、教祖が施し尽くされるひながたから学ぶ喜びの深め方として、喜びは与えられるものの量より、自分の欲の心の深い浅いによって増減すると、それを方程式に表して話されていた姿も懐かしく思い出される。

「はしがき」の中で、教祖伝編纂小史ともいえるものがまとめられている。また、中山慶治氏が「再刊にあたって」の中で記されている「教義講習会」の質疑応答のときの話――二代真柱様から「理の本質に泣け」とお仕込みを頂かれた――は、私自身も『あらきとうりよう』誌の〝素顔・中山慶一〟の取材のとき直接聞かせていただいたので、非常に印象に残っている。先生は真柱様のお仕込みを受けて、「教祖のご苦労の道すがらを感情に訴えて涙をこぼすのでなく、もっと理の本質において泣けるところまで教理を掘り下げて成人しなければならん」と、自らの心を開かれたときの感動を涙ぐみながら話してくださった。

私はこの話を聞き、教祖のひながたの本質を一人ひとりがしっかりと求めさせていただくこと、教祖のひながたの中に、世界の人がたすかるうえに何を教えてくださっているのかを究めることが、「教祖伝」を勉強させていただくうえでの大切な要点であることを肝に銘じた。

道の生命、信仰の源たる『稿本天理教教祖伝』が教会本部から公刊されて50年、いま教祖120年祭を勤め終え、世界たすけにさらに前進させていただくべき旬に、 一人ひとりがいままで以上に『教祖伝』に親しみ、教祖ひながたの道を深く求め、現代社会にあって、ひながたを元に陽気ぐらしの道を如何にたどるべきかを学び実践するうえに、この『私の教祖』は大いに役に立つものと信じる。

かつて私は、英文『稿本天理教教祖伝』の改訳を上田嘉成先生のご指示を仰ぎながらつとめさせていただいた。それを終えた後、その改訳作業を共につとめた海外部翻訳課のキース・マガーヒ君に、『私の教祖』の基礎翻訳を依頼した。そして、アメリカ、ハワイの現地翻訳委員の方々と会議を重ね、二分冊にして昭和59年と61年に出版させていただいた。

翻訳作業の最終段階で先生を訪ね、原文と翻訳文を対照して、その意味と表現の確認をさせていただいたが、そのときの先生の姿が懐かしく思い起こされる。

英文『私の教祖』は、いま英語圏の教友に、教祖のひながたを求めるうえでの参考資料として、大いに活用されていることも付記させていただきたい。

(『みちのとも』2006年7月号より)


『御存命の頃』高野友治著

『御存命の頃』高野友治著

1,760円

書 評

道の草創期を描いた名著

金子圭助天理大学非常勤講師(肩書は当時)

本書は教祖ご在世時代の世相、ならびに草創期の信仰者たちの歩みを、著者が苦心調査のうえで記したものである。

現在、「教祖存命の理」と言われるのは、教祖が現身をかくされて後も、魂は永遠に変わることなく元のやしきに留まり、存命同様働いてくださっていることをいう。しかし、本書の「御存命」は教祖ご在世当時という意味である。

さて、著者・高野先生は昭和8年から3年間、「教祖伝の時代背景」と題し、天理時報に連載された。もし、取材・執筆の時期を逸すれば再び日の目を見ることのできなかったであろう古老の話や伝承を、健脚によって収集された。しかも、本書の発行時(昭和11年初版)には、まだ『稿本天理教教祖伝』(昭和31年初版)は編纂されておらず、まったくの手探りから筆を進められたと聞く。二代真柱様は、この書の序文に「教祖様のお通りあった時代は、明治維新前後百年であり、所謂日本の黎明の頃なのであるから、その時代の歴史自体が興味深いもので教祖伝研究の側面として是非踏み入らねばならぬ分野である」と記され、著者については「未踏であったこの分野に、最初の踏査を試みた。……その頃から生存してゐる古老を歴訪し、又郷土に語り伝へられる語り草を採取してまはった」と、その偉業に賛辞を贈られている。

本書は日本の近代国家出発に当たる時期の史料としても注目されるもので、ましてや本教草創期を知る上では大変に価値ある文献である。

庄屋敷村のこと、秀司先生は医学を学んでおられた時期があること、足達家は二軒になったこと、教祖の教えられた針子たちが道の紹介者となったことなど、教祖伝理解には欠かせない事柄が書かれている。さらに、大阪住吉神社近くに住む種売り種市は後の西および芦津大教会の道の始まりをつくり、また、河原町大教会の道の一つが京都大原から滋賀県の堅田に伝わり、そこの吉野屋が北陸路への中継宿としての役割を担ったことなども記されている。

本書は当時の世相、道の伝わり方、人々の滋味豊かな信仰を伝えている。このたびの再刊を待望していた一人として、心よりお祝い申し上げる次第である。

(『天理時報』2001年1月21日号より)

四会のイチオシ

婦人会

『たすけ一条の道』

中山もと著(2,090円)

『たすけ一条の道』

書 評

をやのあつい思いこもった道すがらを詳細に解説

道友社編集部

 教祖ご誕生200年を記念して、『稿本天理教教祖伝』の解説書が出版される。

 本書は、中山もと本部婦人が平成5年5月から平成8年5月にかけて、5回にわたり『みちのだい』誌に掲載した「たすけ一条の道」に、新たに加筆したものである。

 教祖の道すがらが極めて詳細に分析されており、また各章を読む上での留意点も示され、図表を用いて年代順に丁寧に解説されているので、教祖がたすけ一条の道を通られる上で起こったさまざまな出来事を整理・理解する際に役立つだろう。……その頃から生存してゐる古老を歴訪し、又郷土に語り伝へられる語り草を採取してまはった」と、その偉業に賛辞を贈られている。

 そして文章は、親しみやすい話し言葉で読者に語りかけるように書かれている。

 「時には誰が見てもたんのうできないのが当たり前の時、無理に元気を出して辛抱し続けていると、何時の間にか、たんのうしている自分に気付くのでございますね」

 「水を飲めば水の味がする」という言葉については「水の味が分かる喜び。即ち、健康を感謝するということ。又、水は親神様の御守護の姿と聞かせて頂きます。……自分の身体には水が詰まっていて、それは皆、親神様の御守護が詰まっていることなのでございます」 このように信仰実践の目標・手本となるひながたの真髄として教祖伝に記されている事柄が、著者の悟りを交えて分かりやすく説明されている。

 教祖が子供たすけたい一条の親心から私たちにお示しくだされたひながたをできるだけたくさんの人たちに伝え、陽気ぐらしの世の中が実現する手助けをしたいという著者の思いが、本書のどの章にも、どの行にもあふれている。

 そして人間を陽気ぐらしへと導く方法とは、おつとめを勤めることとおさづけを取り次ぐことであるという。それはたすけ一条の道を通るための車の両輪であり、つとめとさづけこそが、私たちが日々実践しなければならないことであると強調している。

 さらに「おふでさきを読めば、教祖がたすけ一条の道をお付け下さる思召なり、親心なりが、……自分の身体や心に、自然に写り響いてくる」と、親心を末代まで忘れないように教祖がお書きくだされたおふでさきを読むことの大切さも説いている。

 教祖伝は、教祖のみちすがらを知り、たすけ一条の道を通る私たち一人ひとりのために編纂されている。本書を併せて読むことで、誤ることなく通らせていただくための一つの道しるべを得ることができるといえよう。

(『みちのとも』1998年2月号より)

青年会

『おやさまの教え』

上田嘉世著(1,100円)

『おやさまの教え』

少年会

『おやさまと先人(上)』

文・諸井道隆/絵・ささくら著(800円)

『おやさまと先人(上)』

学生担当委員会

『Web〈HAppist〉』
『逸話篇にまなぼう』

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