遠く離れていても 幸せへの四重奏

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遠く離れていても 幸せへの四重奏

02月14日号

15歳の娘さくらが最近、日本のアニメに凝っていて、部屋から日本の歌が聞こえてくるようになった。

なかには私の青春時代の歌もあり、聞きながら学生のころを思い出した。寝坊して遅刻ギリギリなのに、朝ごはんを終わらせ、ちゃんと歯を磨かないと母は学校へ行かせてくれなかったこと、昼食は母が作ってくれたお弁当をウキウキしながら開けたこと、風邪で寝込んでいても部活の時間には、なぜか元気になって学校に駆けつけたこと、部活帰りに通る銀杏並木が好きだったこと。

あのころは、まさか自分が半年後にアメリカへ留学しているなんて、思いもしなかった。アメリカにいても、勉強しながら聴く曲はいつも日本の歌だった。聴きながら、心は日本とつながっていると感じていた。

今年の正月は特に日本が恋しくなった。中学の家庭科で習ったグラタンを作ってみたり、小学校のマラソン大会の後に食べたお汁粉を作ってみたりしているが、今回のホームシックはなかなか治りそうもない。

アメリカに来た29年前は、いくら日本や家族が恋しくても、両親の反対を押しきって留学してきたことから弱みを吐けず、歯を食いしばって頑張った。それでも我慢できず、泣きながら電話をしたとき、父が「常にへその緒をおぢばにつなげていれば絶対に大丈夫だから」と言ってくれた。遠く離れていても、心はおぢばにいる家族とつながっていると感じた。その意味が、今よく分かる。

1年前の年越しは、おぢばにいる両親がボストンに来てくれていた。昨年の1月2日、私は室内楽フェスティバルに出演するため香港に到着した。空港のテレビでは、中
国・武漢市で謎のウイルスが原因で数人が変死したという速報とともに、市場を消毒する様子が放映されていた。

2週間のフェスティバルを終え、ボストンへ帰国した数日後に香港は国境を閉鎖した。その後、両親が日本へ帰国する際、感染拡大が進む日本に年老いた両親を帰すべきか迷ったこともあった。あのころも、1年後の今を全く想像できなかった。

高校生オーケストラにレッスンしたとき、生徒から「高校時代の自分にメッセージを送るとしたら何と言いますか?」と尋ねられた。私は、「今の自分は二度と戻ってこないから、毎日を存分に生きて、いい思い出をたくさんつくってほしい」と答えた。もし1年前の自分に会えたなら、両親と一緒にいられる今を大切にしなさいと言うだろう。

お汁粉を作ったとき、あずきが入った箱の側面に、母の手書きのメモを見つけた。そこには、母が作ってくれる私の好物の分量が書かれていた。遠く離れていても母の愛情を感じて涙が出た。

天理時報2021年2月14日号掲載

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