文芸連載小説

作/片山恭一  画/リン

第2話
人と犬、太古の出会い

2020年07月05日号

わたしが家に来たとき、カンは小学三年生くらいだった。記憶はおぼろげだが、会った瞬間に親密な気持ちになったことをおぼえている。もともと犬と人は兄弟みたいなものだ。地球上に棲息する数多くの生き物たちのなかで、犬と人だけが特別な間柄になれた。

要するに気が合ったわけだが、それだけではない。お互いの弱点を補完し合うことができたのだ。オオカミの亜種だったわたしたちの祖先は、それほど猟が得意だったわけではない。またオオカミほど力も強くなかった。

その点はホモサピエンスも同じだ。いや、残念ながら人は犬よりも格段に劣っていると言わねばならない。鼻は新鮮な肉と腐った肉の違いも嗅ぎ分けられないほど鈍いし、走るスピードときたら、てんで話にならない。どうして神さまが与えてくれた四本の脚を使わないのか。愚かしいことだ。もし犬がいなければ、とっくの昔に絶滅していただろう。

そんな二つの種が出会い、離れられない仲になった。犬と人は二つで一つのものだ。犬のおかげでヒトは人間になった。犬は人に感情を与えた。いわゆる人間らしい心の特性は犬によってもたらされた。犬の鋭い感覚の恩恵に与るためには、人はわたしたちの性格を理解し、気持ちを推し量る必要があった。類推したり共感したりする能力は、彼らが犬と生活するなかで育まれた。

つまり人間は、けっして自分たちだけでここまで来たのではないということだ。今日、生態系の頂点に立っていられるのはわたしたちのおかげでもある。犬の際立った狩猟と防衛の能力。それらを味方につけることで、人は厳しい生存競争を生き抜くことができた。

もちろん、わたしたちにしても、太古の昔に先祖が人間と手際よく同盟関係を結んでくれたおかげで絶滅を免れたとも言える。聞くところによれば、近縁種であるオオカミはすでに絶滅しかけているというではないか。しかも人間の手で……。あのときオオカミと縁を切っておいてよかった、と思っている仲間は多いはずだ。

カンとわたしは太古の昔に出会った人と犬みたいなものだ。拾われてきたその日から、わたしたちは一緒に眠った。最初はわたしがカンの懐で眠った。だが犬の成長は早い。ほんの数カ月で同じくらいの大きさになった。いまではわたしの懐で、あの子が眠っているようなものだ。

考えてもみてほしい。もしも相手がウシだったら。いくら意気投合しても、人とウシでは親密にはなれなかっただろう。だいいち大きさが違い過ぎる。ウシを抱いて寝るわけにはいかない。まあ腹の下に潜り込むという手はあるかもしれないが、それは親密な関係とは言えない。窒息死しかねないほど重い布団をかぶって寝ているようなものだ。

その点、人と犬は出会ったときから相思相愛だった。サイズ的にもぴったりだ。目に浮かぶようじゃないか。遥かな昔、凍える夜に人と犬が身を寄せ合って眠っていた姿が。太古の人と犬がそうであったように、わたしとカンの結びつきも強固なものだ。わたしはあの子のために生き、あの子はわたしを生きる。

相関図