文芸連載小説

作/片山恭一  画/リン

プロローグー連載開始に当たって
共に世界を味わう〝希望の物語〟を紡いで

2020年06月14日号

新型コロナウイルスの影響で、病院や緩和ケアの施設に入っている親との面会を制限され、死に目にも会えなかったという話を身近に聞く。

いろいろな分野で「アフター・コロナ」のことがいわれている。人との接触を避け、他人を脅威と見なすようになってしまった世界。多くの人が宇宙ステーション的な生活を余儀なくされ、一人ひとりが孤独の惑星の住人になってしまった世界。77億の孤独がネットワークによってつながり、オンとオフの瞬間的なコミュニケーションを繰り返している世界。

仕事や暮らしのスタイルは急激に変わるだろう。それ以上に、今回の体験は、コロナが終息したあとも長く人々の心に傷として残るはずだ。子どもたちは大丈夫だろうか?

何年か前の夏の日、川のほとりで仲間とキャンプをした。翌朝、早くに目が覚めて一人でテントを抜け出し、散歩に出かけた。脛ほどの高さの灌木の茂みを歩いていくと、アヒルくらいの大きさの鳥の死骸を見つけた。肉はほとんどなくなって、骨と羽根だけが元の姿をとどめている。

人間が一人で自己完結する生き物なら、死んだ仲間を弔うことはなかっただろう。死骸はその場所に放置したまま、朽ち果てるに任せておけばよかったはずだ。ところがどうしたわけか、人間は一人では完結せずに、誰かとともに生きることをはじめた。

この誰かが、ある朝、動かなくなっている。手を触れてみると冷たい。その冷たさを、ぼくたちの祖先は「悲しみ」として感受したのではないだろうか。昨日までともに駆けたり笑ったりしていた人の唐突な静まりを、「寂しい」と感じたのではないだろうか。

ぼくたちがものを食べるのは、ただ空腹を満たすためではない。少なくとも、それだけではない。もっと別のものも満たしている。無心に草を食んでいるシカたちは「うまいなあ」と感じているのだろうか。シカのことはわからないが、タコは味覚というものを理解しているふしがある。餌の魚などを与えると、タコは腕を曲げて直接口へ持っていかずに、吸盤から吸盤へとリレーしていくらしい。ひょっとして吸盤で味わっているのではないか?

もちろん、ぼくたちも味わっている。だから食べることには「おいしい」とか「おいしくない」といった感覚や言葉がくっついてくる。どうしてそんなことになっているのかわからない。わかっているのは、一人でテレビを観ながらご飯を食べるよりも、家族で一緒に食べるほうが美味しいということだ。これを「錯覚」や「気のせい」と言ってしまうと、それこそ人生は味気ないものになる。

味わうためには、「ふたり」という文脈が必要である。食べることだけではない。好きな人にプレゼントを贈る。その人が喜んでくれると、自分のこと以上にうれしい。幼い子どもたちが高熱を出してつらそうにしていると、自分のことのようにつらい。

そんなふうにして、ぼくたちは「うれしい」や「つらい」といった感情と出合っている。一人では「おいしい」も「うれしい」も「つらい」も発明できなかった。もし人間のなかに「ふたり」という場所がなかったら、意識も感情も生まれなかっただろう。

なぜヒトは直立二足歩行をはじめたのだろう。花を摘むためであるもちろん当時は「花」という言葉はない。あるとき草原を歩きまわっていたヒトが、なんだか心にグッとくるものを見つけた。「これを、あの人に持っていってあげたらどうだろう?」

また別の日。やはり草原を歩きまわっていたヒト(この場合はお父さん)が、なんだか美味しそうな食べ物を見つけて、これを持ち帰れば家族は喜ぶだろうなと思った。そうして、うっかり立ち上がってしまった初期人類がいた。学名をホモ・サピエンス、和名ヒトと呼ばれる彼らのなかで生まれた善きものが、現在も駆動しつづけている。

ヒトが二本足で歩いているのは善を運ぶためである。直立二足歩行は、ヒトが善を宿した生き物であることの象徴なのだ。エビデンスはない。目撃者もいない。かわりに物語がある。物語を紡ごう。

世界とは感じるものである。ともに味わうものである。情報にあふれた暮らしのなかでは、何かを感じるための文脈や、ともに味わうための文脈をつくりにくくなっている。世界から「ふたり」という文脈が希薄になっている。

「アフター・コロナ」に必要なのは〝希望の物語〟かもしれない。固くこわばった心のなかに日差しのように差し込み、慈雨のように染み込んでいく物語。人と人をつなぐ物語。この世界に「ふたり」という文脈を取り戻させるような物語……。

少年と犬、夫婦や親子。さまざまな「ふたり」を描いてみたい。色合いや音色を変えながら移ろってゆく「ふたり」によって、暮らしにささやかな潤いを与えたい。完結までどのくらいかかるかわかりませんが、気長にお付き合いください。

相関図