文芸連載小説

作/片山恭一  画/リン

第18話
虫に囲まれた生活

2021年02月28日号

一緒に遊ぶ友だちこそいなかったけれど、カンは少しも寂しくなかった。身近にはいつも小さな生き物たちがいたからだ。チョウ、バッタ、トカゲ、クモ、テントウムシなど……とにかく動いているものになら、なんでも興味をもった。

ときには何時間も観察しつづけるので、わたしは途中で退屈して散歩に出かける。お喋りに夢中のスズメたちを驚かせたり、塀に小便をひっかけている野良猫に睨みをきかせたりして戻ってきても、あの子は膝を抱えたまま、ときには腹ばいになったまま動いた形跡がない。

数年前までは何かつかまえると、かならず家のなかに走り込んできてハハに報告したものだった。

「あのねえカン、虫は家のなかに持って入らなくていいから。あなたの持ってきた虫がベッドの下で卵を産んで、家じゅうがチョウやトカゲだらけになったら困るでしょう?」

本人は困らないだろうが、トトやハハは困るだろう。わたしもクモやケムシに囲まれた生活は所望ではない。

「このままだと人よりも虫と仲良くなってしまうかもしれないなあ」。トトは、ちょっと気がかりそうに言った。

小学校の体験学習で田植えをしたときも、カンは稲の苗よりもカエル、カメ、メダカ、ザリガニなどの田んぼの生き物に心を奪われた。ほかの子どもたちがせっせと苗を植えているあいだも、泥のなかにうずくまった小さな貝が動きだすのを辛抱強く待っていた。

「きみ、いまは労働の時間だよ」。顔を泥だらけにしたツツがやって来て言った。

返事をするかわりに、カンはポケットから取り出した緑色の小さなカエルを手のひらにのせて差し出した。カエルはぴょんと跳ねてツツの顔にぶつかった。彼女は田んぼのなかに尻もちをついた。

「耕運機や田植え機が入るまでは女の人は大変でした」。農家の人が子どもたちに話している。「6月15日から7月5日ごろまでが田植えの時期ですが、そのころになると、女の人はみんな顔がむくんでいたものです」

「田植えは女の人の仕事だったんですか」
「まあ、そうですね」
「どうして男は手伝わなかったのですか」
「田植えの準備をするのが男の仕事だったのです。田植えのことは婦人部で決めていました」

山の斜面につくられた田んぼは石垣によって支えられている。昔の人が、切り出した石を一つひとつ積んでつくり上げたそうだ。遠くから見ると、水路を挟んで左右にきれいに並んでいる。

「このあいだはどうも」。声をかけてきたのは、海に落ちたカンを助けた青年だった。「手伝いに来たよ。省吾さんが田植えくらいは体験しておいたほうがいいって言うんでね。いま、あの人の農場で働いている。おとうさんが紹介してくれたんだ」

田んぼに張られた水が光っている。

「いい人だな、きみのおとうさんは」

相関図