文芸連載小説
芝生の庭にテーブルと椅子が並べてあった。ツツの家族がやって来たのは水曜の夜である。その日はフウちゃんもサユリさんもホテルの仕事が休みだった。ハハのつくった料理にサユリさんの料理が加わった。フウちゃんは花を持ってきた。トトはワインを用意した。
またしても酒だ。頭のいいチンパンジーは、ワインを発明したことで人間へ進化したというのがトトの説だ。だが考えてもみてほしい。犬はワインを発明しなかったが殺し合いはしない。どちらが種として好ましいだろう?
愚かしい飲み物とともに食事がはじまった。トトは主にフウちゃんと話している。
「アフリカではみんながむしゃらに働く。がむしゃらに働いて、がむしゃらに戦って、必死で何かを手に入れようとしている。何を手に入れようとしているのか?セイフティだよ」
「なるほど」とトトが言った。
「みんな恐怖の海を泳いでいるから」
今度は黙ってうなずいた。
「日本人は何が欲しいのか、わたしにはわからない。何を欲しがっているのか。なんでもあるのに、安心もあるのに、ひたすら欲しがっている。神さまにねだる。これをください、あれをください。でも絶対に満足しない。いつも欲しがっているよね。神さまは何もかも与えてくださっているのに、誰も幸せではない。もう神さまにはどうすることもできない」
サユリさんはハハを説得していた。
「絶対にピアノを習わせるべきよ。才能があるんだから」
「あの子が習いたいって思えばね。でも、いまのところはバイエルやハノンよりも虫やトカゲのほうに興味があるみたい」
ツツはカンに向かって一方的に喋りまくっている。
「砂浜に恐竜の化石が埋まっているのは間違いない。声を聞いたんだから。歩いていたら足元から聞こえてきたの。掘り出してくれ、妻に会いたいって。どこかに展示されているらしいんだな、彼の妻は」
「タコの神経細胞の五分の三は脳ではなくて腕にある」。話しているのはトトだ。「どれか一本が切断されると、その腕は数時間、何事もなかったかのように動きつづける。狩りをつづけ、小魚の一匹くらいはつかまえるかもしれない。しかし獲物を口に運んでも、その口はもう腕とつながっていない」
「悲しい話だね」
「まったく悲しい話だよ。ワインをどうだい?」
「やっぱり無理に勧めないほうがいいかもしれない」。サユリさんがさっきとは違うことを言った。「子どものころには、ピアノよりもっと大切なことがあるのかも」
「虫とか?」
「犬とか」
「最近は本に興味をおぼえているみたい」
「ツツも見習ってくれるといいんだけど」