文芸連載小説
一学期の最後の日、学級担任は子どもたちに通知表を配り、夏休み中の諸注意を与える。いつもカンのことをかばってくれる若い男の先生だった。専門科目は理科で、とくに宇宙や星のことに興味があるらしい。その先生が島と陸がつながる話をはじめた。
月が地球を引っ張る力と、地球が回転することで生まれる外側に引っ張られる力、この二つの力が合わさって、海面が盛り上がったところと、へこんだところができる。つまり潮の満ち干が生まれる。それ以外にも月と太陽の方向によって、一日のあいだで海がうんと盛り上がったり、うんとへこんだりする。これを大潮と呼んでいる。
しかし大潮では島はつながらない。もっといろんな条件が加わらないと、歩いて渡れるところまで潮は引かない。
「宇宙の神秘と言うべき不思議なことが、夏休みのあいだに起こりそうです。この機会に、先生はいろんなことを調べてみようと思います。みなさんも島が陸とつながっていく様子を観察して、夏休みの自由研究にしてはどうでしょう」
カンは町の図書館へ行って潮の満ち干について調べた。満潮と干潮は一日に二回ずつあるらしい。その間隔はほぼ十二時間二十五分である。満潮が朝の八時なら、二回目は夜の八時二十五分になる。また干満の時刻は毎日五十分ずつ遅れていく。これは大変なことになった、とわたしは思った。一日二十四時間、真夜中も海を見張っていなければならない。
一日に何度も砂浜へ出かけて海の様子を観察した。とくに注意したのは潮が引きはじめるときだ。いちばん大きく潮が引いたときに現れる砂浜の位置を、カンは注意深く観察して頭のなかに記録した。
日を追うにつれて、潮の引き方は少しずつ大きくなっていった。やがて潮が引ききったときには、砂浜と島のあいだに砂や小石が現れるようになった。観察をはじめて十日ほどすると、海のなかにいくつもの砂地が顔を出した。しかし島と陸がつながるところまでいかない。宇宙の神秘はなお姿を隠したままだった。
少し高いところへ登れば、海の様子がもう少しはっきり観察できるかもしれない。潮が引ききる時間帯を見計らって、わたしたちは山裾の棚田へ行ってみることにした。暑い日の午後で、ほとんどの生き物は昼寝をしている。目を覚ましているのは、大声で鳴きたてるセミくらいだ。
棚田が雑木林に変わるあたりから、町と砂浜と海が一望できた。日差しをいっぱいに浴びた海は空っぽで、島は生き物たちと同じようにまどろんでいる。陸地に向いたほうに堆積した砂が、鳥の嘴のように白くとがりはじめていた。
その先に細い一本の道が見えた。いまはまだ水のなかに身を潜めているが、いつ海面に現れてもおかしくない状態になっている。宇宙の神秘が姿を現そうとしているのだ。