文芸連載小説
空はすっかり秋の装いだった。波に反射する光や、海を渡って吹いてくる風の匂いから、季節が少しずつ進んでいることがわかった。
「おとうさんが言うには、亡くなった人は隠れることはできるけど、離れることはできないんだって」。ツツは一息に言った。「なんとなく当たっている気がしない?」
きっと家で考えてきたのだろう。その言葉はカンの耳を通り過ぎていった。あの子は一つの考えを懸命に頭から追い払おうとしていた。ツツはトトの死に関係している。彼女もまた何かを感じていたのかもしれない。しかし、お互いに自分たちがどう感じているかをうまく伝えることができなかった。そこで女の子のほうは二つ目の言葉を繰り出した。
「いつかきみのために、ありえないほど速く太鼓を叩いてあげる。悲しみが吹き飛ぶくらい速く。そのためにはもっと手首をうまく使えるようにしなくてはね。指と腕を鍛える必要があるかも」
カンは依然として海を見ている。
「ちょっと、何か言いなさいよ」
少し間があって、ツツは「えっ?」と小さく驚いたような声を出した。それから誰かを探すようにあたりを見まわした。
「きみいま、わかったって言わなかった? ピノも聞いたよね」
わたしは後ろ足で首のあたりを掻いた。
「ひょっとして喋れるんじゃないの?」
もちろん喋れるとも。あの子はずっとわたしと言葉を交わしている。その言葉が心根のいい少女よ、いまきみにも聞こえたのだろう。いつもというわけにはいかない。それはサユリさんのいう倍音みたいなものだ。まれにしか地上に降りてこない。
「Tシャツ、交換しようか」。言葉を交わすかわりにツツは言った。「サッカーの選手たちがよくやっているでしょ」
彼女はさっさと自分のTシャツを脱いで、カンのほうに差し出した。わたしは思わず目を逸らして成り行きを見守った。
「きみも早く脱ぎなさいよ。いつまでもオッパイを出しているわけにはいかないんだから」
カンは言われるままに自分のシャツを脱いだ。
「ちょっとぶかぶかだな」。男物のTシャツを着た彼女は言った。「きみって思ったより大きいんだね」
カンはツツのTシャツを手に持ったまま、遠い波のきらめきに目を細めている。
「カンの匂いがする」。袖のあたりに鼻を近づけてツツが言った。「東京に帰ったら、きっとこの匂いを懐かしく思い出すだろうな」