文芸連載小説

作/片山恭一  画/リン

第1話
ボートハウスの軒下で

2020年06月28日号

わたしを見つけてくれたのはトトだ。職業は医者である。患者も診るサーファーと言ったほうがいいかもしれない。本当は一日中でも波に乗っていたいのだが、さすがに分別のある大人なので定刻になると町の診察所に出かけていく。出かける前に波に乗るのが習慣だ。

最初にわたしの目に映ったのは、砂浜を踏みしめて歩いてくるトトの逞しい足だった。それは白く立ち込めた霧のなかから現れた。早朝の海にはこんな濃い霧がよくかかる。「おや、これはまた可愛い仔犬だ」とトトが言ったかどうか知らない。

カンはトトの子どもで、これはわたしとカンの物語である。自分について話すことはあまりないので、主にカンの物語ということになるだろう。

カンは歩けるようになってから、物にぶつかってばかりいた。家のなかでは家具にぶつかった。街では人にぶつかり、何度も車にはねられそうになった。自分では大丈夫と思っていてもぶつかってしまうのだ。運動機能のどこかに誤作動が生じているらしい。そんな子どもにとって都会は危険な場所だ。そこでトトは、カンが小学校に上がるのを機に田舎へ引っ越すことにした。田舎では医師が不足しているので、仕事は容易に見つかった。

ハハは都会で暮らしていたころから趣味でパンを焼き、自宅でちょっとした教室なども開いていた。家賃の安い田舎なら小さなパン屋さんをはじめることだってできる。そんなふうにトトはハハを説得した。

トトにはもう一つ、ひそかな魂胆があった。移住先として選んだ町は、日本でも有数のサーフィンスポットだった。トトとハハは波乗りをしているときに知り合った。大勢のサーファーが押し寄せる都会の海では波の取り合いになる。田舎の海で波乗りをする人はほとんどいないので、一時間近くも自分の波を待ったりする必要はない。波の形もとても良いらしい。そのあたりのことは犬のわたしにはわからない。

「二時間で三十回は乗れるよ」とトトはハハを説得した。

こうして一家は、この町にやって来た。そして、わたしを見つけてくれた。ボートハウスの軒下に捨てられていた真っ黒い仔犬、それがわたしだ。ピノという名前はトトの好きなワインの品種からつけられた。

ハハには別の考えがあった。古い本によれば、モーセという人は、王様の命令による殺害を逃れるために川に流された。川の名前をナイルという。

「わたしはナイルのほうがいいと思うけどな」

なるほど、話の筋としては、わたしの境遇と似ている。「ナイル」という名前の犬は自分ではないみたいだが。でも結局、その案は通らなかった。川でサーフィンはできないだろう、とトトが言ったかどうか知らない。大量の水が流れつづけるところは、息子にとっても安全ではない、とハハが思い直したのかもしれない。

こうしてわたしはピノになった。簡潔にして明瞭な名とともに、わたしは大切な役目を授かった。カンをあらゆる危険から守ること。

相関図