笑うて泣いてまた笑て 妹尾和夫のしゃべくりエッセー コロナ後の新時代に向けて

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笑うて泣いてまた笑て 妹尾和夫のしゃべくりエッセー コロナ後の新時代に向けて

06月07日号

新型コロナウイルス感染症対策として全国に発出されていた「緊急事態宣言」も、ようやく全面解除となりました。いままで通りの生活に戻るには時間がかかりますが、焦らずに前へ進みましょう。

ところで、テレビのワイドショーやバラエティー番組では、出演者との間隔を空けたり、透明なアクリル板で仕切ったり、自宅や別の場所からリモート(遠隔)出演したりするなど、それぞれが工夫しながら番組制作を続けています。

ラジオの世界も、声だけの出演ではありますが、出演者同士の距離を保って放送しています。

僕の番組でも、番組パートナーとの間にアクリル板を置いて、スタジオ内の換気を十分にして放送しています。ところが、目の前の相手の声が聞こえにくくて話しづらい。ラジオで聴く分には普通なのですが、スタジオでしゃべる側にとっては、近くにいるのに遠くにいるような違和感を覚えます。そうした不自由さを味わいつつも、これまでと変わらぬおしゃべりを心がけてきました。

また、演劇の世界では舞台公演が相次いで中止や延期になりました。

僕のところは、毎年末に公演を行っているので直接的な損害はないのですが、感染流行の第2波、第3波が来れば、どのような決断を迫られるか、まだまだ気は抜けない状況です。

そう考えると、昨年秋に劇団をいったん解散してプロデュース公演形式に切り替えたのは、いいタイミングだったかもしれません。もし、これまでのように劇団として活動していて、今回のコロナ禍をまともに食らったら、想像以上にダメージは大きかったでしょう。解散を決めたのは僕ですが、そこに至る道筋で、神様が先回りしてお働きくださったのかな、と思っています。

ただ、以前にも「パロディフライ」の命名の由来で紹介した「フライ」の意味の一つ「ハエ」のように、とにかくしぶといのです。

日本大学の演劇部時代の後輩を集めて、大阪・心斎橋パルコスタジオで旗揚げをした「パロディフライ」は、コントグループとして東京へ進出。メンバーの結婚で解散した後、大阪へ戻って劇団として立ち上げました。その劇団もいったん幕を下ろし、いまはプロデュース公演をはじめ演劇活動をする団体名となっています。

約40年もの間、演劇の世界で「パロディフライ」がこれほどまでにしぶとく生き抜いてこられたなんて、立ち上げメンバーの神谷光明、「梅マカオ」の芸名で舞台に立った梅山好広の亡き後輩二人も、よもや思ってもみなかったでしょう。

たとえ人々のライフスタイルは変わろうとも、人としての生き方は劇的に変わるものではありません。100年に一度ともいわれる歴史的な出来事を目の当たりにしたこの経験を、何らかのかたちで舞台に生かせたらと思っております。

それからもう一つ。現在、特別定額給付金の申請や受給が本格化していますが、くれぐれも給付金詐欺には気をつけてください。今回のコロナ禍では、自分の身を守ることが、他者や、ひいては世界を守ることにつながるということを学びました。こうした詐欺による被害に遭わないのもまた、自分を守るだけでなく、相手に罪を犯させない“おたすけ”につながります。自称「報道系」(放蕩系とちゃいますよ)の僕からのお願いです。

(せのお・かずお、ラジオパーソナリティー)

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