連載記事
宗教的課題としての「孤独」
(2019年06月09日号)
先日、川崎市で起こった無差別殺傷事件に関する論調で、メデイアが「拡大自殺」なる学術用語を用いて説明しようとした事例を取り上げて解説している。こういう自殺はいまや世界的な問題となっているようだが、孤独の本質を明かさない限り、解消するすべがないように思われる。が、これが難しい。それは個の領域に踏み込まなくてはならない問題だからである。(80代男性)
わが国でも、核家族や単身家族の増加のもと、孤独死や孤立死などのニュースを聞くようになった。このような現代にあって、社会における宗教の役割を再認識させ、具体的な取り組みに結びつけるということに対して大変示唆に富む記事である。(70代男性)
「孤独死」という言葉は、高齢化社会の暗い側面だ。我々ようぼくは常に周りを見渡し、声を掛け、耳を傾けるという小さなことから始めたいと思う。(70代男性)
非常に興味深く拝読させて頂いた。教内でもたくさんの教友の方々が対社会的活動を行っておられるが、その事がこの「孤独」をめぐる現代の問題を打開していく一つの大きな契機となるであろうことをあらためて確信した。(50代女性)
「死にたいなら一人で死ぬべき」という意見が広がったことに、社会全体としての深い闇を感じる。「孤独」という社会が抱える闇。寂しさ、不安を抱えて生きている人に少しでも寄り添えるようぼくでありたいと感じた。(40代男性)
今後の教会の社会における重要なあり方として、筆者のいう「共同体的ネットワーク」のハブとなるべき存在、というものがあると思っている。自教会において、そのような役割をどのように果たしていくべきか、この記事を契機として考えていきたい。(40歳男性)