新〝ひながたの風景〟をたずねて(岡田正彦)
第二十話…大阪・柏原から竜田大橋へ 命がけでおぢばへ...
厳しい暑さの中を、命がけでおぢばへ帰ったその当時の光景を思い浮かべ、非常に心に残った。大和川の写真も美しく、印象深い。(40代女性)
わずか150年前の話。教祖伝逸話篇からも不思議なご守護を頂戴したおたすけ話は数知れず。先人たちは教祖を信じきり尽くされ、素晴らしいご守護をいただいたのだ。(60代男性)
おたすけいただいた山本利三郎先生を通して、周りの人々をおたすけされておられるのですね。ご本人はもちろん痛み苦しみはあるでしょうが、運ぶ人、同行する人のつらさも一段です。その方々のその後も知りたいと思います。(60代男性)
日本史の先生を目指していた時があったのですが、その時その時の事実である史実はわかっても、実際の当時の人たちの気持ちや大変さなどの生活が分からなければ、本当に理解できたとはいえないと思っています。そういう意味で、「ひながた」をできるだけ当時と同じ状態でたどってみるということは、本当に意義深いことだと思います。今回の内容も、心に響くものがありました。(60代男性)
文と写真で学んだ後、QRコードから動画を視聴しました。目だけでなく、耳からも先人先生方の志や苦労が伝わってきて、味わい深い時間となっています。おぢばがえりの尊さを感じる記事にふれ、おぢばがえりできる現代の整った環境に感謝の気持ちがわいてきました。(30代男性)
私の先人の信仰ルーツがとても知りたい! そう思いながら毎回拝見いたしております。(40代女性)
逸話篇でこの話を読んだときは、どこかかしこまって読んでいて感動することはなかったが、岡田先生の文章と写真で臨場感が伝わり、山本利三郎先生が教祖に救けられた時の感謝と感激をストレートに味わうことができた。(60代男性)
逸話篇の世界を、写真と地図で紹介してくださるのは、心が晴れた。先人の歩みを知るなかで、身上を恐れるのではなく、ご守護に感謝し、親神様にもたれることが大切なのだとあらためて思えた。(40代男性)
過去何回も十三峠から竜田方面へ向かったことがあります。おぢばへの道程は写真の通りの風景がなつかしく、また徒歩参拝をしたくなりました。(70代男性)
このたびの動画配信のおかげで、岡田正彦先生に同行させていただきたいという念願が叶い、ますます先人の面影を身近に感じることができるようになった。(70代女性)
第十九話…飯降伊蔵の出生地室生向渕へ お屋敷に伏せ込...
この紙面を読んで、先人マンガシリーズ『大工の伊蔵』を思い浮かべました。奥さんの病気を教祖にたすけられ、毎日毎日、仕事が終わってから教祖の元へ通われた姿をあらためて思い、私も同じ道を歩きたくなりました。(60代男性)
本席様は生まれも櫟本だと思っておりました。向渕分教会の存在は知っておりましたが、そこがご実家だったのですね。(60代男性)
「元一日」を振り返ることは、我々ようぼくにとって大切だと思うが、入信のきっかけだけでなく、広い意味でこのような先人の歩みを振り返る企画はぜひ続けてほしい。(60代男性)
教祖存命の時代にタイムスリップした感覚になり、ご本席様が産湯に使ったという古井戸が現存しているのどかな風景に、気持ちが穏やかで温かくなりました。(50代女性)
第十八話…おぢばから大宇陀へ たすけていただいた先人...
往時をしのび、現代に語りかける何かを伝えたり考えさせたりする企画である。毎回、ゆかりの先人や教会を簡潔に紹介しながら、教理の概説にも意を尽くしていることで読者各層に有意義な記事となっている。(70代男性)
心に迷いが出たとき、You Tubeで先人の足跡や多くの先生方の御講話を拝聴します。特に教祖にお仕えした方々に関連した内容で、タイムカプセルで戻れたように感じられたことは嬉しいです。今後もこの企画の継続をお願い致します。(60代男性)
いつも歩いて旅した目線のエッセーが楽しみですが、ここにも新型コロナウイルスの影響ですね。(60代男性)
第十七話…鴻田忠三郎の旧宅からおぢばへ 教祖直々に薫...
「道の二百里も橋かけてある。その方一人より渡る者なし」このお言葉に秘められた物語。目の前に当時の教祖と鴻田先生の姿がリアルに浮かぶようなそんな記事に、心躍らされる思いになりました。(50代男性)
この記事にはいつも驚きと感動を感じます。書物の中では知れないことが書いてあるので、とても良いです。本にしてくださったらうれしいです。(60代男性)
「実際に文書を開いて音読すると、心がきれいに洗われていき、普段の生活のわだかまりが消えていくような、不思議な感覚になりました」とありました。そういう書物との出逢いは、一生涯のうち片手に数えるほどではないかと想像します。(50代男性)
私の教会も新潟からの道です。新潟のほとんどの教会は鴻田先生の白熱の布教の息がかかっているのだなとワクワクしました。(60代男性)
番外編 「お節会」の賑わい記した史料から お屋敷に寄...
この記事を読んで、「当時の方々がどんな気持ちでおぢばへ帰られたのだろうか」と思いを巡らせました。同じ時期に、同じ道を実際に歩きたくなりました。おぢばへ帰ることができる喜び、お節会を頂くことができる喜び、通ってみて気づくことはたくさんあるのだろうと思いました。(30代男性)
当時の大和の時代背景とともに紹介されていて、「おせち」が始まった頃のことがよくわかった。今年も「おせち」のお雑煮を食べて、一年分のエネルギーを頂きました。ありがとうございます。(60代男性)
第十六話 おぢばから十三峠を越え道頓堀へ 〝歴史の道...
大和の国から摂津、浪速の国へ、今なら鉄道や高速道路で短時間で行けるが、当時は徒歩で行かれたと思うと大変なことだ。(50代男性)
このシリーズは最高のお気に入りです。おぢばには15年おりましたが、いまでは十三峠越えをしなかったことを悔やんでいます。奈良側では当時の面影が多く残っているとのことですが、大阪に入ると道標を見つけるにしても大変なご苦労かと。スタッフの皆様、お疲れ様でした。(60代男性)
現代になっても往時の空気を感じ取ることができ、とりわけ若い世代の人々にはトライしてみようという気を起こさせ、心を勇ませる記事である。(70代男性)
十三峠を越えて浪速に至る話は、お道の信仰をしている者にとっては大事な話だと思いますが、実際にはかなり大変なことだと思いました。時報の記事の中で体験をさせていただき、とても良かったです。(60代男性)
第十五話 おぢばから天理市長滝村へ 立教ゆかりの人物...
先人の方の本当に教祖の事を信じて通ってくださった道すがら、また今のように交通の便も良くないのに、遠い道のりを自分の足で歩いて教祖の元へ通われたことに頭が下がる思いです。(50代男性)
いつもそうなのですが、ああ、あそこだ、そうだったのかと。いずれゆっくりと時間をかけて訪ねたいものです。(60代男性)
本当に教祖が生きておられて、実際に立教の日があったことを実感させる物が残っているというのがすごく感動的でした。教内の者の手記ではないところが、よりリアルな感じがしました。(60代男性)
立教ゆかりの人物と地域を巡る文章から、当時のおぢば周辺の様子が目に浮かんでくる。病気平癒を加持祈祷に頼っていた当時の人々の心情が理解できて、立教前夜のことがよく分かりました。(60代男性)
第十四話 おぢばから桜井市倉橋へ 教祖がお諭しになっ...
いつも楽しみにしているこの企画。今回も岡田先生と共にタイムスリップして、道の先人に出会うことができた。(60代女性)
写真からは、当時の思いや風情などが、まざまざと蘇ってくる感じがする。教えの内容にも懐かしさがともなってくる記事である。(70代男性)
すっきりとたすけてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんも悟れて、いつまでも忘れることがないのが本当のたすかりと。真実たすかる理が大事というところが納得です。(70代男性)
第十三話 耳成山の麓へ 残された記述の行間に 先人の...
いまのように交通も便利ではない時代、先人たちがお屋敷に通われたその苦労が分かる。定年退職して時間ができたら、一度は自分の足で歩いて見たいと思う。(50代男性)
逸話編の「子どもには重荷」という話の背景と、その後の忠作の人生を読み取ることができた。特に用水鉢の献納についての解説や写真によって、忠作の信仰の深さが伝わってきた。(60代女性)
道の付きかたや、どのように本教が成立したのかを知るルーツともいえる。恥ずかしながら地図や内容から知ることがまだまだ多く、連載が楽しみである。(40代女性)
昨年、修養科の一期講師を務めさせていただきました。その折、『教祖伝』や『逸話篇』を穴の開くほど読んだのですが、今回この記事を読んで、さらに行間に込められた思いにふれることができ、大きな感動を味わわせていただきました。(50代男性)
第十二話 幼くして入信した先人 信仰を深める原動力は
幼少時に入信のきっかけがあったとしても、成人するためにはやはり家族の真剣な態度や周囲の人々のアドバイスが大切だと、あらためて思った。(70代男性)
当時の先人の思いや行動について、目に浮かぶようにまざまざと感じとれて、その心の足跡もたどることができる。写真も具体的で分かりやすい。(70代男性)
ご守護頂いた楢蔵さんの心からの信仰が、後々まで続くことになる。「男の子は、父親付きで」とのお言葉が胸にズンときます。(70代女性)
この企画が一番好きです。先人たちの信仰の深さやひたむきさを感じ取れて、毎回楽しみにしています。当時を思い浮かべて読んでいると、勇気や、先人に負けていられないというやる気も頂けます。実際に自分も歩いてみたくなります。(70代男性)