おやのことば・おやのこころ
「九ッ こゝまでついてこい 十ド とりめがさだまりた...
御守護を多く頂きたいと願いがちですが、欲の心はきりがないので、これでは成人していかない。過不足なくちょうどが心のバランスを保てる。むしろ少し不足しているくらいのほうが、心の成人が促進されるのではないかと思った。(30代男性)
あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
いつ第1節をお書きくださるのかなと気にしていました。時期も時期、満を持してですね。お書き下さっている端的な解説、限られた字数の中でスッキリ心に治まります。さすがです。ですが、自然災害や今回のコロナウイルスの報を目の当たりにすると、親神の思いはどこにあるのか、信仰者としてどのように悟らせていただくべきか、いつも悩んでしまいます。いまは祈ることしかできません。(60代男性)
「四ツ よくのないものなけれども かみのまへにハよく...
本部の神殿で参拝、月次祭でのおつとめ、自宅で朝づとめ・夕づとめなど、いろいろおつとめをするときがあります。どれも終わるとすっきりするし、記事の通りでありがたいと思うことばかり。ここに書かれている通り、欲のない人はいないけれど、親神様の前では欲の心も消えるのだと、あらためて思いました。(40代女性)
「五ツ いづれもつきくるならば 六ツ むほんのねえを...
今号から原典「みかぐらうた」から執筆いただくとのこと、うれしいですね。(60代男性)
「松の木でも、小さい時があるのやで……」『稿本天理教...
仕事をしていると、面白い仕事ばかりではなく、「なんでこんな誰でもできるようなことを自分がやらなければいけないのだ……」というような不足をすることも多く、「小さいものから理が積もって大きいなる」という至極当たり前のことを忘れがちになります。そういう中で「小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」との教祖のお言葉にふれると、いま自分が置かれている状況を含め、与わっているものすべてが親神様の思いなのだから、誠尽くしてやれるだけやってみよう、と勇気づけられる自分が確かにいます。(40代男性)
「お日様がお上がりになって居ますに……」『稿本天理教...
お日様と同じように、生命に必要な水をあって当たり前と思い、何も感じることなく日ごろの感謝の心すら忘れている自分にハッとし、恥入るばかりです。全てのものを与えとしてありがたく頂戴するとともに、無駄にならないよう大切に使わしていただかねばと反省しました。(60代男性)
「何時、どこから、どんな事を聞くや知れんで……」
夫婦は気心が知れているので、つい互いの立場の主張や、逆に相手を思うあまり厳しい言葉も。我々夫婦は金婚式を迎えるに当たり、この「おやのことば」を胸に治め、相手の言葉を親神様のお働きと受け止められるよう努めたいと思う。(70代男性)
「神様にお礼申していたらよいのやで」
「前生のいんねん」という言葉は、私の中では大変重くて暗いイメージです。しかし、教祖の「あんた、前々生のことは、何にも知らんのやから」という言葉はとても心を軽くしてくれ、前向きな気持ちにさせてくれます。(70代男性)
「理を振るのや」
近頃年齢のせいかお手振りを良く間違えることがあります。勤めさえ間違わないようになったらどんな願いも聞いてくださるのにと思ってはいるのですが。よくよくこのお言葉が身にしみます。(70代男性)
「愛想つかさず信心しなされ」
今の心境にぐっと刺さる物がありました。何があっても「愛想つかさず信心しなされ 先は結構やで」とのお言葉を胸に前進して行きたいものです。(50代男性)