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教理・教史

第十四話 おぢばから桜井市倉橋へ 教祖がお諭しになっ...

(2019年07月28日号)

いつも楽しみにしているこの企画。今回も岡田先生と共にタイムスリップして、道の先人に出会うことができた。(60代女性)

写真からは、当時の思いや風情などが、まざまざと蘇ってくる感じがする。教えの内容にも懐かしさがともなってくる記事である。(70代男性)

すっきりとたすけてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんも悟れて、いつまでも忘れることがないのが本当のたすかりと。真実たすかる理が大事というところが納得です。(70代男性)

その③第八章「道すがら」

(2019年07月07日号)

3名の先生方がとてもわかりやすく話してくださるし、お顔が分かるので、まるでその座談会に参加させてもらっているような気持ちになります。(50代女性)

3つのキーワード「たんのう」「ひのきしん」「誠真実」について、3氏がそれぞれの経験や思案を具体的に述べておられる。ようぼくにとってこの3つは教えの根本であり、私にとっても大いに勉強になる内容だった。(70代男性)

教会につながる皆様に、いつも教えについてお伝えしているが、あらためて教典に対しての見方について感ずるところがあった。特に「道すがら」は、我々の生活に大きな示唆を与えてくれる。(40代男性)

人をたすけることばかりを考えていると、自分自身の喜べないことも忘れてしまえる。少しずつご守護を頂いて喜べるようになり、たんのうの心が納まる。時間がかかるかもしれないが、あきらめず、神様にもたれて御用をさせてもらいたいものです。(50代女性)

お道のライフスタイル〝逸話のこころ〟を暮らしに生かす...

(2019年06月23日号)

モニターの皆さんの意見を知ることができ、とても勉強になりました。(30代女性)

「教祖の教えは説明して伝えるものではなく、自分の生き方を通して〝伝わる〟ものだ……」と解説するナビケーターの意見はその通りだと思う。だが教えを「言葉」と「文字」で表現する必要はあるのではないか。その限界を感じつつ、試行錯誤する。それが伝道だと思う。(50代男性)

教祖のお言葉は、令和となった現代でも生き続けています。私たち信仰者は、実行あるのみです。たくさんの方の実践にふれることによって、人生の選択や幅、視点を拡げてもらえる貴重な企画だと思います。(30代男性)

第2回「一手一つ」ドッジボール通じて伝えた精神

(2019年06月23日号)

チームをまとめるのは相手が大人でも大変で、相手が子供ならなおさら苦労も多いことだろう。しかし、その中を「一手一つ」の精神で通られ、その心が子供たちばかりでなくその親御さんにも伝わったということが本当に素晴らしいと思う。(50代女性)

ドッジボールを通して、子供同士、また親の協力、コーチの指導、すべてが上手に流れて、10年もの活動を続けられた道がよく分かりました。わが家の子供たちが参加している鼓笛隊も、こうした「一手一つ」が学べるため、私も協力していきたいと思っています。(30代女性)

私は「一手一つ」という言葉が大好きです。一つの目標向かってそれぞれ皆、育ちも性格も癖も全く違うもの同士が集まって、補い支え合うためには、まず心のつながりが大切だと常々考えています。まずは相手に関心を持ち、心のつながりを深めていきたいものです。(40代男性)

「この道が続いていくためには、まず将来のようぼくを育成する必要がある」との言葉が心に残った。そして自らドッジボールチームを結成して、ドッジボールを通じて「一手一つ」の精神を伝えている行動力に圧倒された。(40代女性)

その②第七章「かしもの・かりもの」

(2019年06月02日号)

身上諭しは本教の根幹ですね。それだけに難しいものです。近い方の身上を目の当たりにして思うのが「なんで彼が……」です。私などより何十倍も道一条に通っているのに、と親神様の思いについて思いを巡らしたものです。いんねんの悟りが大事なのは理解しますが、二代、三代前まで遡って得心するとなると、誰にでもできるものではないでしょう。でも、かしものかりものの教えはもっと身近に置いておく必要があります。時報も毎回一面で取り扱っていただきたいと思います。(60代男性)

これまで三原典や『教祖伝』『教祖伝逸話篇』は身近に接しているのですが、実はお恥ずかしながら『天理教教典』をしっかり拝読したことがありません。これを機に購入し、拝読させていただこうと思いました。(60代男性)

諸井先生は「いんねん」の自覚について、「自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る」と、教典をひもとかれている。信仰者として基本に帰らなければいけないことを学んだ。(70代女性)

このシリーズ座談会は、ただ読んで終わらせただけではもったいない。教会でのねりあいや教理の研修などに生かしたい。今回の座談会では、中川よし先生の「おたすけは天恩を教えること」という言葉が強烈に心に残った。(60代女性)

さまざまな先生の話を聞くことができ、教会での講話、練り合いに生かせていいですね。(60代男性)

3人の方の座談会を読ませていただいて、信仰に向き合う心定めが、今さらながらできました。「かしもの・かりもの」といつも父に言われていたのに、頭では分かっていたつもりでも、本当のところは何も分かっていなかった。「親神様のおかげで、毎日この身体を使わせていただける」と考えたとき、心が軽くなった気がして、おつとめが楽しくなりました。先生たちの話が、胸にストンと落ちました。本当に良い勉強になりました。(80代女性)

日々の「心のほこり」を払うことが大事であるとあらためて認識した。心に喜びを持てれば、ほこりはおのずと払われる。「いんねん」の話では、まず自覚して「いんねんを切る」通り方をすることが、代々の信仰につながるのだと思う。(50代男性)

第十三話 耳成山の麓へ 残された記述の行間に 先人の...

(2019年05月26日号)

いまのように交通も便利ではない時代、先人たちがお屋敷に通われたその苦労が分かる。定年退職して時間ができたら、一度は自分の足で歩いて見たいと思う。(50代男性)

逸話編の「子どもには重荷」という話の背景と、その後の忠作の人生を読み取ることができた。特に用水鉢の献納についての解説や写真によって、忠作の信仰の深さが伝わってきた。(60代女性)

道の付きかたや、どのように本教が成立したのかを知るルーツともいえる。恥ずかしながら地図や内容から知ることがまだまだ多く、連載が楽しみである。(40代女性)

昨年、修養科の一期講師を務めさせていただきました。その折、『教祖伝』や『逸話篇』を穴の開くほど読んだのですが、今回この記事を読んで、さらに行間に込められた思いにふれることができ、大きな感動を味わわせていただきました。(50代男性)

第1回「かしもの・かりもの」〝お礼の言上〟続ける中で...

(2019年05月19日号)

最近よく、この体が自分の思い通りになることは一つもないのだなと「かしもの・かりもの」の理を感じる場面があります。何も考えずに息ができる。目が見える。毎朝きちんと便が出る。「生きてるって、不思議で幸せだな」と頭が下がる毎日です。(40代男性)

心の中でお礼申し上げることはありますが、声に出して言上することはありませんでした。最初は書いた文章などを用意しておいて、教会のおつとめ終了後などに参加者全員で言上するのもいいですね。(60代男性)

「かしもの・かりもの」の話は、小さいころから聞かされていた。朝夕のおつとめの後、これからは十全の神様を読ませていただいて、お礼を言い、家族みんなのお礼も申し上げたいと思いました。(80代女性)

毎日の朝、夕づとめの際には、口に出して「お礼の言上」を続けている。子供たちに、親神様・教祖を身近に感じてほしいという思いと、身の周りに溢れるご守護を常に感じて、自然に感謝出来るようになってもらいたいとの思いからである。私自身も、生活に追われて疲れ、イライラするような時にも、あらためて与えられているご守護の有り難さに気付かされて、感謝の心が生まれてくる。(40代女性)

なかなか理解の難しい教語も、活字にしていただければ先生の経験談や実際に通られた道すがらなどを通して理解を深めやすいと思います。(40代女性)

私も子供のころ、いまのアトピーだった。記事の高い心で折れやすく、切りやすいというのは、いま思うとそうだったように思う。さまざまな事情を見せていただく中で、有り難いと思えるようになってからは、本当に結構に通らせていただいております。今後も楽しみにしています。(50代女性)

「かしもの・かりもの」の話は、頭で理解しているだけでは不十分である。やはり、身上お手入れの際にしっかり受け止め、その有り難さを感じることが大切だ。また、時折「元の理」にもふれて、親神様の思いをあらためて確かめてみたい。(70代男性)

家族の別席の申し込みのため船場大教会で手続きしたとき、その日の当番だった志賀先生から「元の理」などのお話を聞かせていただき、心にすっと収まったことを覚えています。先生が記事に書かれているような身上のご苦労を乗り越えてこられたから、説得力のあるお話を聞かせてもらえたのだと思いました。(60代男性)

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私が時報を手にして最初に読むのがこの連載です。教祖の折々のお言葉を、当時と今を並べてお書きいただいています。自身に置き換えて振り返りの糧としたいと思っています。同じようなスタイルで「かしもの・かりもの」の欄も欲しいです。(60代男性)

「松の木でも、小さい時があるのやで……」『稿本天理教...

(2019年04月28日号)

仕事をしていると、面白い仕事ばかりではなく、「なんでこんな誰でもできるようなことを自分がやらなければいけないのだ……」というような不足をすることも多く、「小さいものから理が積もって大きいなる」という至極当たり前のことを忘れがちになります。そういう中で「小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」との教祖のお言葉にふれると、いま自分が置かれている状況を含め、与わっているものすべてが親神様の思いなのだから、誠尽くしてやれるだけやってみよう、と勇気づけられる自分が確かにいます。(40代男性)

いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちた...

(2019年04月21日号)

座右のおふでさきは、毎週切り貼りさせていただいています。奥様が出直された教会長様と子供さんたちの、その後のお道の通り方と生き様に涙が出ました。掲出の「おふでさき」の重みがずしりと胸に応えました。(60代男性)

「『天理時報』には、不思議なご守護をいただいた教友の話が載っている。何が足りないのか自責の念に駆られた」と仰っていることが、教会長というお立場もある中で、素直ですごいなと思いました。私も経験がありますが、大切なお身内の闘病からのお出直しで、そういう気持ちにもなるだろうと思います。さぞ思案されたのだろうと思います。(30代女性)

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