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リレーエッセー 「教えのことば」に導かれ

第1回「かしもの・かりもの」〝お礼の言上〟続ける中で 志賀道雄・堀江分教会長

(2019年05月19日号)

最近よく、この体が自分の思い通りになることは一つもないのだなと「かしもの・かりもの」の理を感じる場面があります。何も考えずに息ができる。目が見える。毎朝きちんと便が出る。「生きてるって、不思議で幸せだな」と頭が下がる毎日です。(40代男性)

心の中でお礼申し上げることはありますが、声に出して言上することはありませんでした。最初は書いた文章などを用意しておいて、教会のおつとめ終了後などに参加者全員で言上するのもいいですね。(60代男性)

「かしもの・かりもの」の話は、小さいころから聞かされていた。朝夕のおつとめの後、これからは十全の神様を読ませていただいて、お礼を言い、家族みんなのお礼も申し上げたいと思いました。(80代女性)

毎日の朝、夕づとめの際には、口に出して「お礼の言上」を続けている。子供たちに、親神様・教祖を身近に感じてほしいという思いと、身の周りに溢れるご守護を常に感じて、自然に感謝出来るようになってもらいたいとの思いからである。私自身も、生活に追われて疲れ、イライラするような時にも、あらためて与えられているご守護の有り難さに気付かされて、感謝の心が生まれてくる。(40代女性)

なかなか理解の難しい教語も、活字にしていただければ先生の経験談や実際に通られた道すがらなどを通して理解を深めやすいと思います。(40代女性)

私も子供のころ、いまのアトピーだった。記事の高い心で折れやすく、切りやすいというのは、いま思うとそうだったように思う。さまざまな事情を見せていただく中で、有り難いと思えるようになってからは、本当に結構に通らせていただいております。今後も楽しみにしています。(50代女性)

「かしもの・かりもの」の話は、頭で理解しているだけでは不十分である。やはり、身上お手入れの際にしっかり受け止め、その有り難さを感じることが大切だ。また、時折「元の理」にもふれて、親神様の思いをあらためて確かめてみたい。(70代男性)

家族の別席の申し込みのため船場大教会で手続きしたとき、その日の当番だった志賀先生から「元の理」などのお話を聞かせていただき、心にすっと収まったことを覚えています。先生が記事に書かれているような身上のご苦労を乗り越えてこられたから、説得力のあるお話を聞かせてもらえたのだと思いました。(60代男性)

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