「天理時報」読者モニター アンケート

教典を暮らしに生かそう――『天理教教典』公刊70年に寄せて シリーズ座談会

その②第七章「かしもの・かりもの」

(2019年06月02日号)

身上諭しは本教の根幹ですね。それだけに難しいものです。近い方の身上を目の当たりにして思うのが「なんで彼が……」です。私などより何十倍も道一条に通っているのに、と親神様の思いについて思いを巡らしたものです。いんねんの悟りが大事なのは理解しますが、二代、三代前まで遡って得心するとなると、誰にでもできるものではないでしょう。でも、かしものかりものの教えはもっと身近に置いておく必要があります。時報も毎回一面で取り扱っていただきたいと思います。(60代男性)

これまで三原典や『教祖伝』『教祖伝逸話篇』は身近に接しているのですが、実はお恥ずかしながら『天理教教典』をしっかり拝読したことがありません。これを機に購入し、拝読させていただこうと思いました。(60代男性)

諸井先生は「いんねん」の自覚について、「自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る」と、教典をひもとかれている。信仰者として基本に帰らなければいけないことを学んだ。(70代女性)

このシリーズ座談会は、ただ読んで終わらせただけではもったいない。教会でのねりあいや教理の研修などに生かしたい。今回の座談会では、中川よし先生の「おたすけは天恩を教えること」という言葉が強烈に心に残った。(60代女性)

さまざまな先生の話を聞くことができ、教会での講話、練り合いに生かせていいですね。(60代男性)

3人の方の座談会を読ませていただいて、信仰に向き合う心定めが、今さらながらできました。「かしもの・かりもの」といつも父に言われていたのに、頭では分かっていたつもりでも、本当のところは何も分かっていなかった。「親神様のおかげで、毎日この身体を使わせていただける」と考えたとき、心が軽くなった気がして、おつとめが楽しくなりました。先生たちの話が、胸にストンと落ちました。本当に良い勉強になりました。(80代女性)

日々の「心のほこり」を払うことが大事であるとあらためて認識した。心に喜びを持てれば、ほこりはおのずと払われる。「いんねん」の話では、まず自覚して「いんねんを切る」通り方をすることが、代々の信仰につながるのだと思う。(50代男性)

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