わたしは初代 お道との出合い
神様への感謝 常に忘れず 小児まひで教会に引き取られ いま子や孫にも信仰を伝えて 大山弘子さん
(2020年02月16日号)
信仰初代の方のおたすけ話には「信仰の芯」を感じます。(60代男性)
小児まひの身上をきっかけに教会に住み込むことになったという〝おたすけ話〟が、本人だけに限らず、子や孫の世代のおたすけにまでつながっているところに、お道の素晴らしさを感じます。(60代男性)
初代の入信からの歩みを分かりやすく解説して、にをいがけにもなっている記事。教友たちとのねりあいにも使える内容だ。(70代男性)
この方の信仰の道すがらやご守護の姿に大変感動した。縦の伝道の模範となる信仰の喜びの姿を見ました。(40代男性)
この話には驚きました。文章を読んでふと涙が出てしまいました。(60代男性)
教会に里子として預けられ、しかも小児マヒの身上までありながら、ご守護を感じ子や孫へと信仰を伝える。すごい苦労があったものと察する。ご恩報じで喜び勇んで通られている姿に感動した。(60代男性)
子や孫にも、ご守護への感謝と喜び、そして信仰が伝わっている姿に、子育て中のようぼくとして感銘を受けた。(40代女性)
親神様がきっと目印をつけられて、将来道の道具として使ってやろうと考えられたのだろう。助からないと言われた赤ちゃんが自力で出てきたという奇跡があって、より深く神様のご守護を感じられたと思います。そして、幼いころから教会で聴いていたお話がだんだんと心に治まり、まさしく順々と理想的な成人の仕方だと思います。大感激です。(70代男性)
神様に凭れられて、神様への感謝を忘れずに通られたこその幸せのお姿なのですね。涙が止まらないです。(50代女性)
過去の記事から、あの人は今みたいな企画は読み応えがあります。いまの笑顔が何よりもいい。(50代女性)