季節
その4 全教一斉にをいがけデー 信仰見つめ直す日 〝...
自分の家の信仰を振り返る機会を与えてくれる、なかなか良い企画だったと思う。(60代男性)
ようぼくとして基本となるにをいがけについて、会話形式で教えてもらえて分かりやすかった。(50代男性)
毎月の講社祭を楽しみにしています。「無事生きています」の感謝の気持ち。子供の健康、日々の恵まれた環境。さらにその喜びを周囲に伝えることができれば、世界一の幸せ者ですね。(40代男性)
今月の話題は、全教一斉にをいがけデーということだったが、次男宅の講社祭では、早速この紙面の内容を活用したお話をさせていただいた。今後のシリーズも活用して、しっかり孫たちにも教理を伝えていきたい。(60代女性)
道の仲間と心通わせた夏 共に語り合い 友情育んで 学...
スマホの情報で参加を決め、参加中はスマホを持たない生活。面白い。いまの高校生にスマホを持たない時間を作ることはすごく新鮮で意義のあることですね。意思の疎通を対面で経験させることは大事でしょう。また、感受性豊かな若人におぢばを感じてもらうのは、最高のにをいがけです。(60代男性)
人生の中のたった数週間が今でも大切な宝物です。そんな気持ちを思い出させてくれる記事は毎年楽しみです。(50代女性)
私自身も受講し、またカウンセラーとしても関わっていたことから、目頭を熱くしながら記事を読んだ。母となり、高校生の我が子と接する中で、あらためて学修スタッフ時代に経験させていただいたことを思い出す。誰かを理解しようとするならば、心に寄り添い、全てを受け止めて話を聞く。学修での経験と出会いは、これからも受講生やカウンセラーにとって大きな心の宝となるに違いない。(40代女性)
「向日葵」 子供の笑顔を見守る
「向日葵」にいろんな品種があるとは知らなかった。肥料や育て方で大きくなったり小さかったりするものだと思っていた。私も大きく成長する「ロシアヒマワリ」を育ててみたい。(60代女性)
花を種から育て、更に開花を希望の時期に合わせるのは難しいものだ。天理小学校では、児童が教員とともに大きな品種の「ロシアヒマワリ」を立派に育て、夏のおぢばがえりに文字通り花を添えているという。すばらしい!(70代男性)
立教182年こどもおぢばがえり 関連記事・企画特集
最近の子供たちはスマホやゲームに夢中ですが、屋内、屋外イベントへの参加と団体行動、詰所での宿泊、友達同士のコミュニケーションなどの経験が、今後も増々必要になってくるものと思います。(60代男性)
昨年比1万人増の23万2千2百人帰参の数の陰に、たくさんの方々のご協力、ご苦労があったことが読み取れ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。第1回のおぢばがえりに私が感激した、教祖の親心に満ち溢れたおやさとの空気は、いまも変わりなく受け継がれています。(70代女性)
6面の「60余年続く〝夜の行事〟」の記事を見て、プールサイド行事のことが懐かしく思い出されました。我々の世代は、なんといってもプールサイド行事です。これからも子供たちの心に残る行事が企画されるよう願います。(60代男性)
なんでもデータ集のデータ分析が面白い、大人や子供にも分かりやすく説明できます。たとえ(富士山等)を用いた所がいい。また、6面の「60余年続く〝夜の行事〟」。自分の年齢に合わせて、この時は天理高校、本部勤務……など、それぞれの時を懐かしく思い浮かべる事ができました。(60代男性)
「イチかバチかの勝負や」 森馬敏夫・イチゴ農家
以前は実家でも、ハウスでキュウリやトマトを栽培しており、天気に左右される楽しみや苦しみを感じる親の姿を見て育った。「人間より野菜を育てる方が難しい」と親が言った言葉を思い出した。(30代女性)
近くの空き地で自然に任せて育てたイチゴは、小さくて甘さも足りない。イチゴ農家の森馬さんは、台風が来たら「その花を捨てるか、ビニールを張って飛ばされるか」の勝負をかけて栽培するという。「あすかルビー」はどんな味だろう。(70代男性)
沿線に桜を植えた人たち
嵯峨野のトロッコ列車には乗ったことがあるのですが、列車からの美しい景色はすべて自然のものだと思っていたので、先人の方が植樹され、手間暇かけてお世話をされていたとは全然知りませんでした。あの素晴らしい景観の陰にたくさんの人のご苦労があったと知り、深く感動しました。(60代女性)
京都有数の観光施設、保津峡沿線を走るトロッコ列車は、その開業に際し「沿線を掃除し、桜を植えるという地道な行動」が人々の共感を呼び、いまの姿があるということを初めて知った。結果を急がない先人から学ぶことは多い。(70代男性)
キタキツネの愛情
一人暮らしをしていた学生時代を思い出しました。手作りの料理をタッパーいっぱいに入れて持って来てくれたり、励ましの手紙を送ってくれたりと、親は、距離は離れていても常に心にかけてくれていたのだと、記事を読んでその愛情に思いを馳せることができました。両親の姿には感謝の気持ちしかありません。(30代男性)
「春の花々」花盛りの陰に
花壇やプランターに植えられている色とりどりの花。天理高校農事部の皆さん、いつもありがとうございます。植えている時の皆さんの姿を見ているので、本当に頭が下がります。手入れも大変でしょうけど頑張ってくださいね。(50代男性)
少年ひのきしん隊に参加した中学3年生の子が言いました。「天理高校の第2部に入って、おぢばの花のお世話をしたい」。花が、一人の少年会員をおぢばの学校へと誘いました。(30代男性)
4月の本部月次祭参拝の折、紙面と同じ場所の写真をスマホで撮り、春のおぢばを感じてもらおうと、遠くの親せきに送った。これらのきれいな花々は、天理高校花卉班の女子生徒の丹精の賜物だという。世話をする彼女たちに出会ったら、ぜひ声を掛けたいと思う。(70代男性)
おぢばに住んでいるので、季節に合わせた花壇の美しさに感動して写真を撮っていますが、花卉班の方々のお陰なんですね。このお話の後に花壇を見ると、一層花たちがきれいに見えます。(40代女性)
いつ帰らせていただいても、色とりどりの花々を目にしては、心を和ませてもらっています。美しく咲き誇る舞台裏には、丹精を続ける若者達の陰の努力。敬意を表したい。いつもありがとうございます。(70代男性)
梅花に宿る予感
「幸せから一番遠いように見えるところに幸せの予感が宿っている」との一節が深く心に残り、私の心も清々しく温かい気持ちになった。親神様を信じ、もたれて通るなら、たとえ今がどんなに苦しいつらい状況にあるとしても、希望は必ずある。幸せはもう始まっている。(40代女性)
新年号を心待ちにする反面、新たな時代の到来に不安も感じています。その中で、明るい新たな希望が持てるような気がしました。(40代男性)
元号の出典が、大学時代に専攻した万葉集だと知ったとき、やったと思いました。最も寒い時期に咲く梅の花を見ると、春が目の前に来ていることを感じる。つまり、幸せから一番遠いように見えるところに幸せの予感が宿っている。そう感じ取ってきたのが日本人なんですね。という白駒さんの意見に大賛成です。(80代男性)
教祖殿前の梅の花が満開になるとやってくるのが、おぢばの学校の卒業式です。紅白に彩られた梅の木は、卒業生を祝福しているように思います。あの梅の木は、どうにかしてご本部へ献上させていただきたいと苦心の末、教祖殿前に移された真実のこもった木だと読んだことがあります。(30代男性)
支柱が支える〝花の噴水〟
4月初めに満開となる、天理おぢば名物「枝垂れ桜」。このころになると本部神殿の参拝後、別席場まで足を運ぶ。未信仰者の方も大勢見に来られており、道を尋ねられたりもする。また来年も楽しみだ。(50代男性)
修養科の前のあの枝垂れ桜。なかなか満開を見ることはできないが、写真やWebで見られる素晴らしい時代になった。この桜はただ綺麗だとしか思っていなかったが、親神様のお働きをそこに感じられる記事に、目から鱗が落ちました。(50代男性)
まず、見事なシダレザクラの写真に心奪われた。花の噴水とは、非常に上手い表現だと思った。また「近くで見る一本一本の枝は驚くほど細く、か弱い」との一文が印象に残った。私たちようぼくも、一人ひとりは小さな力かも知れないが、皆が心を一つに、親神様・教祖の教えを心の柱に、陽気暮らし世界を目指して「感謝、喜び」の輪を広げようと努めるなら、「感謝、喜び」の花は周囲の人にも伝わり、広がり、感動さえ巻き起こすのではないかと、この写真を見て強く感じた。(40代女性)
昨年だったと思いますが、この桜を見上げ、思い思いにカメラやスマホで写真に収める方々の様子を見た事を思い出しました。その時、唯々その美しさに目や心を奪われていただけの自分でしたが、視点を変えての「花の噴水」とは実に愉快な発想だと感じました。(50代男性)
おぢばの春の風物詩であるこのシダレザクラは「春の学生おぢばがえり」の記念撮影のスポットである。いつもと違うアングルで撮影されたこのシダレザクラに添えられた文章からは、お道を通る私たちの生き方を学ばせていただいた。(60代女性)
東講堂で講師の先生が「別席場前のシダレザクラは、観光バスの見学コースになるほどの名所になっています」と。そして「残念ながら、神殿の参拝はされないようですが」と続けられました。折角ですから参拝していただきたいですね。(70代男性)
おやさとやかた東左棟前の枝垂れ桜は圧巻ですね。修養科で学んだ際、その雄大さと、個々の花の可憐さに初めて気づきました。いまはなかなか桜の時期に訪れることは叶わないのですが、誕生祭のときに満開で感激した年がありました。(60代男性)