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日本史コンシェルジュ(白駒妃登美)

〝幻の東京五輪〟

(2019年06月09日号)

日本史に興味があり、表に現れない白駒さんのエッセーを毎回楽しみにしている。(60代男性)

過去に開催が決定していたが戦争のため辞退となった東京オリンピックがあった。その開催にまつわる歴史に登場するオリンピック委員の加納治五郎さんと外交官の平沢和重さん。来年の開催を控え一段と興味深い話である。(70代男性)

戦時中でも世界の人との心強い交流に大感激しました。(40代女性)

梅花に宿る予感

(2019年04月14日号)

「幸せから一番遠いように見えるところに幸せの予感が宿っている」との一節が深く心に残り、私の心も清々しく温かい気持ちになった。親神様を信じ、もたれて通るなら、たとえ今がどんなに苦しいつらい状況にあるとしても、希望は必ずある。幸せはもう始まっている。(40代女性)

新年号を心待ちにする反面、新たな時代の到来に不安も感じています。その中で、明るい新たな希望が持てるような気がしました。(40代男性)

元号の出典が、大学時代に専攻した万葉集だと知ったとき、やったと思いました。最も寒い時期に咲く梅の花を見ると、春が目の前に来ていることを感じる。つまり、幸せから一番遠いように見えるところに幸せの予感が宿っている。そう感じ取ってきたのが日本人なんですね。という白駒さんの意見に大賛成です。(80代男性)

教祖殿前の梅の花が満開になるとやってくるのが、おぢばの学校の卒業式です。紅白に彩られた梅の木は、卒業生を祝福しているように思います。あの梅の木は、どうにかしてご本部へ献上させていただきたいと苦心の末、教祖殿前に移された真実のこもった木だと読んだことがあります。(30代男性)

この世を変える一歩を

(2019年03月10日号)

来日した外国人が帰化する理由に驚いた。爆弾で破壊されたビルが存在しない。鞄をかかえていても取られない。落とした財布が戻ってくる。仕事で外国の方と話す機会が多い私にできることは、丁寧に親切に説明して、少しでもお役に立つこと。その人の心にぬくもりが残る対応を続けようと思った。(40代女性)

特に後半部分の「日本は天国のようなところだった」からのくだりは、それこそ東日本大震災以降、私自身も同じようなことを考えていたのでとても共感しました。また、それは信仰的な観点からは、世界国々所々にある教会(布教拠点)、そこにつながる信者一同の心の持ち方にも通じるのではないでしょうか。おぢばはもちろん、「教会は天国のようなところだった」と感じてもらえるよう、陽気ぐらしの手本となれるよう努めていきたいです。(40代女性)

私が知らない日本人の良い行いをエッセーで紹介していただき、いつも感激して読んでいる。モノで助けても、心を助けないと本当の助けではないと感じた。自分もそのような行いができる人になりたい。(40代女性)

「大切な人、大好きな人を笑顔にするために、一日一日を、心を込めて丁寧に生きればいいのです」との言葉が強く心に残り、深く響いた。まさに「人をたすける心」の大前提であり、陽気ぐらしを実現するための第一歩だと思った。(40代女性)

長い道のりの先に

(2019年02月03日号)

日本のマラソンの父、金栗四三さんのオリンピック秘話。スポーツを通して国境を越えた人々の交流が、感動的なフィナーレを生んだのであろう。(70代男性)

変わった角度からの歴史の側面が見えて興味深い。(60代男性)

スウェーデンの方々の金栗四三選手への粋な計らいと対応の素晴らしさに感動しました。(50代男性)

ポーランドが親日な訳

(2018年11月25日号)

日本外交にとって厳しい状況が続く中で、「親日」の話題を読んで、日本人として何か心がホッとしました。(60代男性)

当時の日本人からすれば当たり前の親切かもしれないことが、受けた側がずっとそれを受け継いで思っていてくれていることこそ有難い。これからも友好関係を築いていけるよう願う。(50代女性)

日本とポーランドとの友好関係は、有名なユダヤ人のビザの発給をした杉原千畝さんのことで知っていたが、それ以外に最大の理由が第一次大戦後、子供たちの人道支援を第一にしたことが語り継がれてきたことを初めて知り、より感動した。(70代男性)

人生を左右する出会い

(2018年10月21日号)

時間よりも教育の密度が成果を決定的に分ける要素、という筆者の観点は的を得た感想だろうと思います。時代の変化が激しい時代でも一瞬の出会いが、人の一生を左右する。この感想は実に当たっていると思いました。平戸藩家老葉山左内との師弟関係はわずか50余日であったという、この50余日は松陰の一生を形成するという濃密な時間だったと思われます。私もかって教職についておりましたが、生徒にそのような接触をしていたかどうか。(80代男性)

私は長くホテルで働いていたが、大切なお客様を見送る時は「玄関まで出て、お客様の姿が見えなくなるまで見送る」のがサービス業としての基本でした。しかし、家老であり師でもある葉山佐内が一青年の吉田松陰を同じように見送っていたとは驚きであり、同時に佐内が松陰をどのように思っていたかがその姿勢に覗えるのではないだろうか。(70代男性)

佐内と松陰との出会いが、それからの人生の師となったのですね。「すばらしい師につくということは、常識や技術を学ぶだけに留まらず、人格を含めて、その人が人生の中で培ってきたことのすべてにふれるということでしょう」とありますが、人との出会いは、多かれ少なかれ、自分の人生の師となっているのでしょう。(70代女性)

薩摩魂を胸に旅立った男

(2018年09月16日号)

今年の大河ドラマでは描かれていない薩摩の一面に興味を覚えた(60代男性)

毎回、楽しみにエッセーを読んでいる。今回も私の知っている知識の中にはない名前の人が出てきていた。けれど、アメリカのレーガン大統領が知っている日本人を日本人の私が知らないなんて、と思ってしまいました。こういう方は世界中を探したら、たくさんいるのかもしれないなあと感じました。(40代女性)

鹿児島出身なので単純に天理時報の紙面に「薩摩魂」という言葉があるのがうれしい。しかし、鹿児島出身でありながら長沢鼎のことを知ったのはつい最近。私自身も若い頃に留学した経験があるので外国で暮らす苦労はある程度理解できるつもりだが、今とは比べものにならないたくさんの苦労をされた先人たちの経験があって今の時代の自分たちがあるのだということは忘れずにいたいと思う。(40代女性)

江戸時代にもう世界に旅立って日本人として大成功をした人がいたなんておどろきでした、さらにこの話が長い年月たってから伝えられたこともおどろきでした。(60代男性)

幕末における薩摩藩の若者のことはあまり知らなかった。しかし今回この記事を読んで、改めて日本の国が独立を守るために努力した、当時の人達のお陰であると思わされた。特に最年少の長沢鼎という若い侍の活躍が日米の両国に多くのものをもたらしたのには驚きでした。(70代男性)

薩英戦争後、幕府の海外渡航禁止中に薩摩が西洋文明の必要性を痛感し、有望な若者19人を英国留学させた中に、最年少13歳の長沢鼎がその後、米国に渡り、カルフォルニアでブドウを作り「ブトウ王」に成ったという話は知りませんでした。明治維新前後に世界に旅立ち、異国で人々に感謝・貢献された先人を知り得て得をしたように思います。(60代男性)

民衆を支えた慈母の愛

(2018年07月29日号)

実家は明治の始めに北海道に渡って開拓した祖父伝来の土地にある。伊達村が開拓された当時の苦労話の記述は、我が祖先と被って胸の詰まる思いがします。またどんな時代にあっても女性の存在が大きいとも知りました。(70代男性)

亘理伊達家の明治期における苦難と成功の歴史を知ることができた。地名にもなるほどの先人たちの歩みがしのばれる。続くが道とはよく言ったものである。(70代男性)

歴史教科書には出てこない日本、東北伊達潘の維新後の苦難の蝦夷地開拓の歴史を知ることができました。私も札幌勤務があり、有珠山噴火の泥流被害視察で伊達市にもいきましたが、この保子様の話は知りませんでした。今回、拝読し幾多のご苦労乗り越えた先人のご努力に非常に感動いたしました。また、絆が我々にとつていかに大切かも学ばせていただきました。(70代男性)

戦国時代の大型機械のない時代に北海道の開拓は想像できないほど、大変な仕事だと思う。苦難の中、保子さんの溢れる愛で見事に乗り越え、開拓を成し遂げられた。辛いときこその愛なのですね。(50代女性)

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