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連載記事

尊敬するパーソナリティーたち

(2019年06月09日号)

今回は、日本各地の地方放送局で活躍するラジオパーソナルティーの中から妹尾さんが尊敬する6名が紹介されている。いずれも地方のラジオリスナーに絶大な支持を得て活躍している面々である。「地方の時代」と言われて久しいが、地方は衰退している。首都一極集中型の政治・経済・文化の転換を実現することなく地方の存続はない。地元に愛されるラジオ局が地方を救うモデルになる。ぢばに心を寄せ、地元に根付く教会のあるべき姿にも通じる。(50代男性)

〝幻の東京五輪〟

(2019年06月09日号)

日本史に興味があり、表に現れない白駒さんのエッセーを毎回楽しみにしている。(60代男性)

過去に開催が決定していたが戦争のため辞退となった東京オリンピックがあった。その開催にまつわる歴史に登場するオリンピック委員の加納治五郎さんと外交官の平沢和重さん。来年の開催を控え一段と興味深い話である。(70代男性)

戦時中でも世界の人との心強い交流に大感激しました。(40代女性)

宗教的課題としての「孤独」

(2019年06月09日号)

先日、川崎市で起こった無差別殺傷事件に関する論調で、メデイアが「拡大自殺」なる学術用語を用いて説明しようとした事例を取り上げて解説している。こういう自殺はいまや世界的な問題となっているようだが、孤独の本質を明かさない限り、解消するすべがないように思われる。が、これが難しい。それは個の領域に踏み込まなくてはならない問題だからである。(80代男性)

わが国でも、核家族や単身家族の増加のもと、孤独死や孤立死などのニュースを聞くようになった。このような現代にあって、社会における宗教の役割を再認識させ、具体的な取り組みに結びつけるということに対して大変示唆に富む記事である。(70代男性)

「孤独死」という言葉は、高齢化社会の暗い側面だ。我々ようぼくは常に周りを見渡し、声を掛け、耳を傾けるという小さなことから始めたいと思う。(70代男性)

非常に興味深く拝読させて頂いた。教内でもたくさんの教友の方々が対社会的活動を行っておられるが、その事がこの「孤独」をめぐる現代の問題を打開していく一つの大きな契機となるであろうことをあらためて確信した。(50代女性)

「死にたいなら一人で死ぬべき」という意見が広がったことに、社会全体としての深い闇を感じる。「孤独」という社会が抱える闇。寂しさ、不安を抱えて生きている人に少しでも寄り添えるようぼくでありたいと感じた。(40代男性)

今後の教会の社会における重要なあり方として、筆者のいう「共同体的ネットワーク」のハブとなるべき存在、というものがあると思っている。自教会において、そのような役割をどのように果たしていくべきか、この記事を契機として考えていきたい。(40歳男性)

離婚した両親の姿から結婚に嫌悪感

(2019年06月09日号)

相談者のこれまでの生き方に共感しつつ、「心の内の嫌悪感」に打ち克つというのではなく、そこから目を転じて感謝の思いを持てるようにと導くアドバイスの仕方には脱帽。回答者のおたすけ人としてのこれまでの研鑽が、この回答の中に凝縮されているようであり、かくありたいと心から思った。(40歳男性)

その②第七章「かしもの・かりもの」

(2019年06月02日号)

身上諭しは本教の根幹ですね。それだけに難しいものです。近い方の身上を目の当たりにして思うのが「なんで彼が……」です。私などより何十倍も道一条に通っているのに、と親神様の思いについて思いを巡らしたものです。いんねんの悟りが大事なのは理解しますが、二代、三代前まで遡って得心するとなると、誰にでもできるものではないでしょう。でも、かしものかりものの教えはもっと身近に置いておく必要があります。時報も毎回一面で取り扱っていただきたいと思います。(60代男性)

これまで三原典や『教祖伝』『教祖伝逸話篇』は身近に接しているのですが、実はお恥ずかしながら『天理教教典』をしっかり拝読したことがありません。これを機に購入し、拝読させていただこうと思いました。(60代男性)

諸井先生は「いんねん」の自覚について、「自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねて行くならば、自分のいんねんを悟ることが出来る」と、教典をひもとかれている。信仰者として基本に帰らなければいけないことを学んだ。(70代女性)

このシリーズ座談会は、ただ読んで終わらせただけではもったいない。教会でのねりあいや教理の研修などに生かしたい。今回の座談会では、中川よし先生の「おたすけは天恩を教えること」という言葉が強烈に心に残った。(60代女性)

さまざまな先生の話を聞くことができ、教会での講話、練り合いに生かせていいですね。(60代男性)

3人の方の座談会を読ませていただいて、信仰に向き合う心定めが、今さらながらできました。「かしもの・かりもの」といつも父に言われていたのに、頭では分かっていたつもりでも、本当のところは何も分かっていなかった。「親神様のおかげで、毎日この身体を使わせていただける」と考えたとき、心が軽くなった気がして、おつとめが楽しくなりました。先生たちの話が、胸にストンと落ちました。本当に良い勉強になりました。(80代女性)

日々の「心のほこり」を払うことが大事であるとあらためて認識した。心に喜びを持てれば、ほこりはおのずと払われる。「いんねん」の話では、まず自覚して「いんねんを切る」通り方をすることが、代々の信仰につながるのだと思う。(50代男性)

〝安心して失敗できる〟環境を

(2019年06月02日号)

目からうろこのお話でした。子どもには失敗させたくないというのが本音なので、どんどん失敗させて失敗から学び、成長するための力を身につけるというのには驚きました。子どもが安心して失敗できる環境を用意することが大事なこととは思ってもみなかったので、深く考えさせられました。(60代女性)

保育の仕事に携わり、子供と日々関わる中で、「失敗」と意識するのは本人か他者かと常に思っています。ちょっと成功した「やった!」と嬉しそうに大人の方を振り返ったときに、「やったね!」と静かにほほ笑むだけで、子供はどんどん新しい世界へ挑戦していくものだと思います。(40代男性)

留学先でのひのきしんに反響 ブルネイの全国紙・SNS...

(2019年06月02日号)

「留学先で自分を見つめ直したことで、病気やけがもなく過ごせているありがたさに気が付いた。現地での生活を支えてくれる人々に恩返しができればと考え、ひのきしんを企画した」と、その発案の動機を話している。このことが現地の全国紙で紹介され、大きな話題を提供した。これは日ごろのちょっとした心遣いが何気なく出たということで、〝語学の天理〟を発揚する出来事である。(80代男性)

ブルネイでひのきしんを始めた天大の留学生たちは「有名になりたい」などと思わず、ただ純粋に報恩感謝の気持ちから「よくをわすれてひのきしん」に励んでいたのだと思う。それがSNSで拡散されるなどして、結果的に現地の人たちの心を動かし、大きなにをいがけにつながったのだと思う。その行動を大いにほめたい。(60代男性)

素直な気持ちから行ったひのきしんが、素晴らしいにをいがけとなりましたね。親神様・教祖もお喜びくださっていると思います。(50代女性)

第十三話 耳成山の麓へ 残された記述の行間に 先人の...

(2019年05月26日号)

いまのように交通も便利ではない時代、先人たちがお屋敷に通われたその苦労が分かる。定年退職して時間ができたら、一度は自分の足で歩いて見たいと思う。(50代男性)

逸話編の「子どもには重荷」という話の背景と、その後の忠作の人生を読み取ることができた。特に用水鉢の献納についての解説や写真によって、忠作の信仰の深さが伝わってきた。(60代女性)

道の付きかたや、どのように本教が成立したのかを知るルーツともいえる。恥ずかしながら地図や内容から知ることがまだまだ多く、連載が楽しみである。(40代女性)

昨年、修養科の一期講師を務めさせていただきました。その折、『教祖伝』や『逸話篇』を穴の開くほど読んだのですが、今回この記事を読んで、さらに行間に込められた思いにふれることができ、大きな感動を味わわせていただきました。(50代男性)

水は低きに流れる

(2019年05月26日号)

「水は低いほうに流れる。心を常に低くしていれば、人の心は必ず寄ってくる」この言葉は父からもよく聞いた言葉です。低き心で接した時、その青年の心に染みて、努力して首席奏者まで上りつめたのでしょう。教授の嬉しかった想いが伝わってきます。(80代女性)

〝当たり前〟を疑う

(2019年05月26日号)

自分にとっての当たり前は、他人にとっては必ずしも当たり前ではない、ということを解説した、興味深い記事であった。当たり前の共有をするための方法を示唆していて面白かった。(80代男性)

夫婦間、家族間など近い間柄でも、当然こうでしょ、それが当たり前でしょ!とぶつけるから諍いになるのだと、本当に納得しました。自分の当たり前と人の当たり前は違うという前提に立つことで、いったん受け入れる心の余裕ができると思います。お互いの主張が違うと、がっかりしたり、相手からあなたは間違っていると責められているような気持ちになったりすることがありますが、土台の当たり前が違うということを頭に置いておけば、緩和できると思います。(30代男性)

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