連載記事
「イチかバチかの勝負や」 森馬敏夫・イチゴ農家
以前は実家でも、ハウスでキュウリやトマトを栽培しており、天気に左右される楽しみや苦しみを感じる親の姿を見て育った。「人間より野菜を育てる方が難しい」と親が言った言葉を思い出した。(30代女性)
近くの空き地で自然に任せて育てたイチゴは、小さくて甘さも足りない。イチゴ農家の森馬さんは、台風が来たら「その花を捨てるか、ビニールを張って飛ばされるか」の勝負をかけて栽培するという。「あすかルビー」はどんな味だろう。(70代男性)
第1回「かしもの・かりもの」〝お礼の言上〟続ける中で...
最近よく、この体が自分の思い通りになることは一つもないのだなと「かしもの・かりもの」の理を感じる場面があります。何も考えずに息ができる。目が見える。毎朝きちんと便が出る。「生きてるって、不思議で幸せだな」と頭が下がる毎日です。(40代男性)
心の中でお礼申し上げることはありますが、声に出して言上することはありませんでした。最初は書いた文章などを用意しておいて、教会のおつとめ終了後などに参加者全員で言上するのもいいですね。(60代男性)
「かしもの・かりもの」の話は、小さいころから聞かされていた。朝夕のおつとめの後、これからは十全の神様を読ませていただいて、お礼を言い、家族みんなのお礼も申し上げたいと思いました。(80代女性)
毎日の朝、夕づとめの際には、口に出して「お礼の言上」を続けている。子供たちに、親神様・教祖を身近に感じてほしいという思いと、身の周りに溢れるご守護を常に感じて、自然に感謝出来るようになってもらいたいとの思いからである。私自身も、生活に追われて疲れ、イライラするような時にも、あらためて与えられているご守護の有り難さに気付かされて、感謝の心が生まれてくる。(40代女性)
なかなか理解の難しい教語も、活字にしていただければ先生の経験談や実際に通られた道すがらなどを通して理解を深めやすいと思います。(40代女性)
私も子供のころ、いまのアトピーだった。記事の高い心で折れやすく、切りやすいというのは、いま思うとそうだったように思う。さまざまな事情を見せていただく中で、有り難いと思えるようになってからは、本当に結構に通らせていただいております。今後も楽しみにしています。(50代女性)
「かしもの・かりもの」の話は、頭で理解しているだけでは不十分である。やはり、身上お手入れの際にしっかり受け止め、その有り難さを感じることが大切だ。また、時折「元の理」にもふれて、親神様の思いをあらためて確かめてみたい。(70代男性)
家族の別席の申し込みのため船場大教会で手続きしたとき、その日の当番だった志賀先生から「元の理」などのお話を聞かせていただき、心にすっと収まったことを覚えています。先生が記事に書かれているような身上のご苦労を乗り越えてこられたから、説得力のあるお話を聞かせてもらえたのだと思いました。(60代男性)
「寄り添ってほしい」 という需要
レンタルなんもしない人や聞き屋の存在を知りませんでした。いかに心の内を話す相手がいないかでしょうね。私も「初めて会った人なのに、何でも話してしまった」と言われたことが何度もあります。話すだけで心が軽くなったり、一人で抱えていた時より「そんなに深刻になる必要はない」と思えたりと、心を解放することは必要だとは思っていました。(50代女性)
私も「レンタルなんもしない人」をテレビで視ました。そこに居るだけ。何もしませんでした。ただ、そこにいてくれて、話を聞いてくれるだけでいい。そういう存在が大切なのだと感じる。(40代女性)
沿線に桜を植えた人たち
嵯峨野のトロッコ列車には乗ったことがあるのですが、列車からの美しい景色はすべて自然のものだと思っていたので、先人の方が植樹され、手間暇かけてお世話をされていたとは全然知りませんでした。あの素晴らしい景観の陰にたくさんの人のご苦労があったと知り、深く感動しました。(60代女性)
京都有数の観光施設、保津峡沿線を走るトロッコ列車は、その開業に際し「沿線を掃除し、桜を植えるという地道な行動」が人々の共感を呼び、いまの姿があるということを初めて知った。結果を急がない先人から学ぶことは多い。(70代男性)
「祭の中」
いつも楽しみにしています。美しい文章の中から、何を言おうとしているのかを自分なりに感じ取って、心に納めるようにしています。(50代男性)
お祭りからの帰りに、人波の前方に「死に目に逢えなかった父」を見た。「祭は祀り」、幼い時の不思議な思い出の話は、今にも生きているのかもしれない。(70代男性)
小さいころ、私も人混みが苦手だったなあと思いつつ、これはもしかして本部の月次祭に参拝したお話かな……と想像して読んでいたら、最後の最後にぐっと胸に迫るものがありました。(50代女性)
誰かのおかげがあっての今
毎週聴いているラジオ番組のように、軽妙なエッセーを今回も楽しく読ませていただいた。「誰かのおかげがあっての今」と言う標題になっているが、実は妹尾さん自身も、多くの人たちの人生の「誰か」の一人になっているのだと思う。(50代男性)
『天理時報』に載る前から妹尾さんのファンでした。なので最初は驚きましたが、何となく好感が持てたのは天理つながりだったのかと変に納得。身近なお兄ちゃんという感じです。私も周りの人にいつも助けられているので、本当にそうだなあと思いました。(60代女性)
誰かのおかげがあっての自分、ということを自覚することは、とても大切なことではありますが、一番うっかり忘れてしまいがちなことだと思います。どんなに成功しようとも、今の自分があるのは自分の力だけではなく「誰かのおかげ」なんだということを、しっかり自覚して日々過ごしておられる妹尾さんを尊敬します。(50代女性)
毎回楽しみにしております。妹尾さんの文章は「簡潔」なのに、その背景や情感がとても浮かびやすく、エッセーなのにドラマのように思えることが多々あります。(40代女性)
伊坂幸太郎作『アイネクライネナハトムジーク』 〝幸せ...
読んでいて「私も同じだなあ」と思いました。子育てをしているときは、私も幸せを感じる余裕がなく、忙しくしていたのですが、なんて幸せな時を過ごしていたんだろうといまごろになって思います。(60代女性)
私も子供たちと共に生活する中で、食事を作って一緒に食べたり、夜に寝顔を見たりしながら幸せを感じます。(40代男性)
毎号の「おやのこころ」「人生相談」は、とても楽しみにしています。エッセイも楽しみで、今回は特に、よく読む伊坂幸太郎さんが載っていてうれしかったです(40代女性)
子育てをする中で、風の存在の不思議を時々感じていたので、とても共感できました。(30代女性)
「我らが貴婦人」の火災
早速、最近のノートルダム大聖堂の火災の出来事が載っていて、どうしてこんなに世界に衝撃を与えたのかがよく理解できる記事でした。(40代女性)
「松の木でも、小さい時があるのやで……」『稿本天理教...
仕事をしていると、面白い仕事ばかりではなく、「なんでこんな誰でもできるようなことを自分がやらなければいけないのだ……」というような不足をすることも多く、「小さいものから理が積もって大きいなる」という至極当たり前のことを忘れがちになります。そういう中で「小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」との教祖のお言葉にふれると、いま自分が置かれている状況を含め、与わっているものすべてが親神様の思いなのだから、誠尽くしてやれるだけやってみよう、と勇気づけられる自分が確かにいます。(40代男性)
(その14)手配り拠点が〝交流の拠点〟に
記事中、寺田教区長が「手配りの拠点をようぼくの交流の拠点にしていきたい」と提案している発言には、賛同者が多いと思う。都市部への過度の人口集中と郡部の人口減に伴う疲弊は著しい。当然所属する教会から遠くに移り住む信者も多い。その意味で時報手配りから常時のひのきしん活動への展開が、さらに信者間の交流の活性化・教友の輪の広がりを生むという事例は、都市部における「信者のつながり」を広げる格好のケースだと言える。さて、郡部はどのような可能性があるのであろうか?(50代男性)